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2016年5月涌井 駿
タクシーの話
バンコクは都会ですごく過ごしやすい。電車もあるし、コンビニエンスストアもたくさんあるし、日本食のレストランもたくさんあるし、タクシーだってあるんだ。
日本でタクシーとゆうと車道から手を上げていればばゆっくりと停車し、自動で後部座席のドアが開きちょうど良く設定された車内の温度と柔らかな革のシートと共にタクシー独特の嫌ではない匂いが迎えてくれることだろう。これぞタクシーと言わんばかりにタクシーらしさを出していて、タクシーはタクシーでしかなくそれ以上にもそれ以下にもならないのだ。タクシーはタクシーであるべきななのだ。
運転手もしかり
「どちらまで?」
「初台駅南口まで」
このたった2行の会話で出発地点から目的地までいけるスマートさ。
運転手が道に迷うことはほとんどないのだ。
天気が良ければ
「今日は天気がいいですね」
「最近寒かったですからね」
道が混んでいれば
「なんだか少し混んでますね」
「ええ、今日は花園神社でお祭りがあるらしくて」
東京マラソンがあれば
「マラソンですかね?」
「東京マラソンですね」
一つの会話が始まるがその会話に終わりはないのだ。タクシーの車内では会話は会話ではなくなるのだ。
終わりのない会話と華麗なハンドルさばきにより、知らぬ間に僕らは目的地で片足を地につけ千円札と五百円玉を右手で渡しているのだ。
だがしかしそれは日本のタクシーであって、ここバンコクではタクシーはタクシーからタクシーではなくなってしまうのだ。タクシーがタクシーではなくなることとは一体どうゆうことか。
バンコクでは基本的にだが旅行車はタクシーの運転手と値段の交渉をしないといけなくなる。
メーターが付いているのに使いたがらない運転手、目的地がどこだか分からない運転手、遠回りをする運転手、わざと違う場所へ連れていく運転手、値段交渉のすえ降りろと怒り出す運転手、お釣りがないと言い出す運転手。様々な運転手がいるが基本的にあまり好印象な運転手はいない。
彼らはこうゆう「We are friend. I happy and you happy」友達なら普通の値段でいってほしところだ。ハッピーなのはあんただけだろと思う。