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2018年7月堀川 渉

フラクタルな視点

 

 ネパールでは、バネパという地域に滞在し続けました。農村の生活の様子を撮影するにあたり、公文先生がネパールで撮影された作品の写真集を参考にしました。村にあるホテルのオーナーさんが彼の友人を紹介して下さり、その方の家の内部を撮影させていただくことが出来ました。そしてさらに、その友人が親戚の家を二件案内して下さり、難しい交渉なしにスムーズに複数の住居の内部を撮影することが出来ました。住居の修理を行っているシーンや、洗濯を手洗いで行なっているシーン、裁縫を行っているシーン、郷土料理を作っているシーンなど、衣食住を考慮した内容でその村の特徴を捉えていくように意識しました。

 

 しかし最近、自身の撮影スタイルに疑問を持つことがあります。それは、頭の中にイメージとしてある絵柄を一つ一つ拾っていくというものです。確かに、一つのテーマに沿ってそれを表現するために、どのような場所を訪れて、どのようなカットを確保する必要があるのか、というような撮影対象を明確化していく作業は非常に重要なことです。しかし、それが自身の思考と行動の範囲を制限してしまっていると感じることがあります。

 

 FW出発前に一生懸命に下調べをして、その土地に期待と憧れを抱きました。イメージしていたシチュエーションに出会い、それをデータとして確保できた時の満足感はとても大きいです。そして、その土地を自身の中でどのように消化すべきか、ということを考えます。例えば、日本では見ることが出来ない非常に険しい地形、そこに人々が居着く理由、語り継がれてきた文化などからその土地の特徴を見出そうとします。そして、その土地には多かれ少なかれ素晴らしい歴史があり、現在も素晴らしい環境が存続しているのだと理解します。得た知識がその土地の優位性を自分の中に埋め込むのです。

 

 そのことは確かに、撮影という行為を通して得た知識であるため、進歩と言えるかもしれません。しかし言い換えれば、自分が訪れた土地が特別な場所であると錯覚して、あたかも他の土地とは隔離されているかのような感覚に陥ってしまっているのです。少し大袈裟に広義の視点から観ると、自然の中に文明を落とし、それを発展させたのは、明らかに人間です。そして、人間は社会を築き上げました。大きな社会の中には、小さな社会が存在し、その小さな社会の中には、さらに小さな社会が存在します。この様なフラクタルな視点を持つことが非常に重要であると感じます。

 

 ベトナムのハザンという地域は、周囲から幾重もの山で隔てられており、いくつもの峠を超えて、長い時間をかけて辿り着く場所であるため、地形的には隔離されていると言えます。しかしその場所は、中国雲南省から続く広大なカルスト地形のほんの一部に過ぎず、周囲と比較すれば小規模な村の集合体でしかないのです。ただ、小規模でありながらもそこには必ず、人々の知恵が入り混ざった“社会”が存在します。そして、中国雲南省を含めた広大なカルスト地形に暮らす人々の間にも、一つの社会が成立します。そしてまた、ベトナムや中国という地域も、アジアという具体的空間の一部を成す一つの国であり、その国単位での社会が存在します。これがフラクタルな視点による考え方です。

 

 一つの土地を狭義の世界としてしか捉えられなくなってしまっては、その土地を理解したことにはならず、写真を撮るという行為の意味性も薄れてしまうのでないかと思うようになりました。

 

 また、海外を旅しているならば、毎日出会う風景や人々は常に新しいものです。様々な発見の可能性に満ち溢れています。そのような対象に目を見張って、新鮮な世界として感受する習慣を疎かにしてはならないと思います。

 

 

 

 

ベトナムのハザン省にあるタイ族の集落での光景。

この集落が一つの社会を成しており、一軒一軒の住居の中には家族が存在し、それぞれの幸せが宿っています。

 

 

追記ですが、ここで、人間が社会を発展させようとする理由は何なのだろうという疑問が生まれます。

都市を開発することで変遷を試みる根本的な原動力とは何なのでしょう。

発展することが人間の幸せではありません。

発展するために文明を築いたのではありません。

まず第一歩として、高度経済成長期を経てバブル崩壊を経験した日本と現在のアジア新興国を比較することで、開発と発展の意義を明らかにしていく必要があります。

 

 

使用カメラ:OLYMPUS Tough TG-5