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2018年3月山口 宗一郎
ようやく台湾から二投目
こんにちは。久々の投稿となりました。
一度目の長距離移動をしてから少し寝込んでしまいまして、予定していた台湾二投目の記事投稿を延期するたびに億劫になってしまいようやくの現在です。
ここからは、長い期間空いてしまいましたので、Tough5にて撮りためた写真とともにダイジェストで台湾を振り返ろうと思います。
では、18日の写真からどうぞ。
これは高雄から台中まで移動した痕跡です。
ホテルの最寄り駅まで八島君と徒歩で移動して、そこから新幹線の通う駅まで一緒に移動をしました。
あの時、お昼を食べてから新幹線に乗ろうかと言っていたのに、改札の中にも何かありそうじゃない?と言って入って、特に何もなく空腹のまま八島君を送り出してしまい、申し訳なかったこともありました。この場を借りて謝罪します。大変申し訳ありませんでした。
またその日は台中から宿泊地である、南投県の埔里(プーリー)まで移動して、宿に着きました。この写真はその宿の外装と内装です。
宿を探す時、マップ上に記された場所に宿が見当たらずに同じ通りを行ったり来たりしましたが、住所を頼りになんとかたどり着きました。道の名前が堂々と記されているのにはちゃんと意味があって、その意味を実感しました。
ですが部屋の上部が吹き抜けになっていて、隣の部屋とつながっていました。ネットカフェと疑いましたが民宿です。
この埔里は、山の方にあるため夜は冷えます。隣の部屋の窓が空いていると部屋の中まで冷えてしまって大変でした。
この部屋では飲食禁止なんですがおかしいですね。隣の部屋からはグチャグチャと噛む音が。この時はたまらずに部屋から出てしまいました。夜の11時ぐらいの話です。今となっては懐かしい思い出としましょう。
埔里から撮影地の霧社まではバスで40分かかります。始発が6時なので夜明けに撮影を行うには霧社にあるホテルに泊まっていなければできないです。この山奥ではタクシーもなかなか捕まらない。なので移動の基本はバスと徒歩です。徒歩だと番犬に吠えられてハイキングが過酷な状況になったのはいい経験です。番犬が3匹ぐらいであればまだやり過ごすことができることがわかりました。ですがやっぱり車があれば移動は楽だなと思います。車をチャーターしたかった。
あと、この地には廬山温泉という場所があり日本統治時代には富士温泉という名前だったとか。その時から効能が認められているそう。まだ入っていないので次回訪れる時は是非入りたいです。でも、地盤の関係で温泉街の撤去が命じられているらしいので、それまでにはと思っています。
埔里では、金曜と土曜の夜にしかしないこの街で一番大きな夜市にも行きました。
屋台には、日本ではあまり見かけない日本料理があります。その代表例がたこ焼きと寿司です。まぁ、寿司はメジャーですよね。きっとたこ焼きももしかしたら有名なのかと思いますが、正直私自身初めてだったため見た瞬間笑い声が出てしまいました。この日は、お腹を壊してから久々のお肉をたいらげ、次の日にずっと続いていた下痢生活から卒業できることができました。それまでは野菜を多くとっていましたが肉を取ることも重要なんですね。初めて知りました。
それとびっくりしたのですが、ここの夜市はちょっとした遊園地だったと思います。ふわふわが置いてあったりゴーカートがあったりと豪勢でした。まぁ童心は帰ってきませんでしたが。
プーリー、プーリー、プーリー、、、好きな響きです。可愛らしいですよね。
そんな楽しい埔里とおさらばして、台北の松山に移動しました。
長距離バスには無料Wi-Fiもありすごい快適でした。
ホテル周辺は、のどかでした。
台北に来てからはあまりホテルから出ていないので写真自体撮る枚数が少なかったです。
少しの引きこもり生活を満喫して、みんなと再集合を果たしました。
みんなの顔が見れて、ホッとしました。これからこの宇宙船と宇宙船のドッキングのような感動を何度も味わえると思えると、これからの海外フィールドワークも頑張れる気がします。
今回は、ここまで。
お読みいただきありがとうございました。
次回の記事をご期待ください。
山口より。