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2016年8月涌井 駿

お呼ばれ香港、また来て桂林

事物のせいにして言い訳をするのは良くないと思います。けどそうやって言い訳したい時もあると思います。今は昆明から桂林に来ています。桂林は水墨画で有名なはずです、みなさんも一度はご覧になったことがあるかと思います。山のような大きな岩が切り立つ川を小さなボートが行き来する絵や写真をきっと。僕自身もその桂林にいます、いるだけです。町にいるだけです。基本的に遠い観光地に行く時は現地のツアー会社を頼るのですが残念なことに中国の夏休みの影響もあり、台風もありどこにも行けません。時間が1日しかないと言うこともあって、まった動くにも動けず終わってしまいそうです。とても残念です。悔しいです。けれどそんな事もあるさと軽い気持ちで楽しまなければなりません。きっと他にいい事があるはずだと。自分自身にそう言い聞かせています。これをやらなきゃ、あれをしなきゃと慌ただしくしていると見えるものまで見え無くなってしまいそうです。めげず、急がず、気張らずに風のようにサラリとしていたいです。DSC07066blog

(実家の犬に似ていた雲)

明日から香港に行くのですが、なぜだか分かりませんが香港と言う町に対する興奮がグツグツと湧き出ています。早く行かないと、香港が僕のことを呼んでいる、「香港に行かねばならない」とそう思うんです。プランとしての香港が待っているのではなく、香港自体が待っているんだとそう感じます。インドも同じように感じました。奴らが待っていると、僕を呼んでいるとそう感じました。とても抽象的で分かりにくいかと思いますが。そう感じるんです。少しは期待をしていますが、期待というより呼ばれている、「行かないといけない」「呼んでいるんだ」と。

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それは祭りの太鼓と笛の音が寝ている僕を夢からゆっくりと引っ張りだすのに似ていています。遠くから微かに聞こえるボンボン ピッピッ ボンボン ピッピッと町の子供達がゆっくりと日曜の朝から起こしだすアレに似ています。それを決して五月蝿く感じることはないのです。

 

その祭りの音を聞くたび、夢の中で子供達が天狗のお面と神主の格好をして神輿をひく姿を僕は家の窓から眺めているのでした。そして午前中の薄暗い家の玄関先までやってくる、小さな神様たちの姿をみて僕は少し怖気つくのでした。そこには色がなく、それはまるで眠いモノクロ写真を見ているかのようです。DSC07022blog

香港に感じる其れは、その祭りの音を聞いて感じる其れに似ています。それは何故なのか行ってみないと分かりませんね。色のないモノに色をつけられるのか。どんな写真になるのか楽しみでもあります。