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2016年5月涌井 駿

魔法は鍋で作られる

 

 

案外最初はひとりになる事が寂しかったんですけど、慣れるとこわいものでひとりの方が楽だと思ってしまう事があります。ずっと同じ食べ物を食べ続けてもなにも言われないし、食べたらすぐに煙草をすってお会計を済ませてお店をでて。ふらついて写真を撮って気楽の中にもなにか寂しさもありつつなんだかんだ一人旅(ほぼ)も楽しいものですね。

けれどやっぱり話しながら美味しいねとかコレは不味いとか、もう二度と食べたくないとか、こんな店一生来ないとか言える友人がいたらもっと「楽しさ」が増えるんじゃないかなと思います。早食いで結構食べ物をこぼしてしまったり、飲み物を倒したりすることもあるのでそれを注意してくれる人が誰もいないのも寂しいですね。
実家暮らしの時からご飯は皆んなで食べるものとなっていたのでワイワイガヤガヤするのがやっぱり恋しいです。
東京に住んでいた時もやっぱり何人もの友人を呼んでご飯を作って沢山食べて、ワインを開けて煙草を吸って喧嘩したり、この喧嘩したりってのがもう最悪なんです。
東京には同居人がいるんですけどこの同居人がまた変な人でして。一言口を開けば喧嘩の種をふっかけ合っています。同居人はご飯を作るのが上手なんですけど、味音痴の僕から言わせたら口に入ればどれも一緒になんですね。自宅に友人が遊びに来るとその同居人が手料理を振る舞うんですよ。みんな美味しい美味しいって食べて僕だけ普通に何も言わずに食べてると「お前には料理作るかいが無い」なんて言われます。
心の中では「今まで食べた中で〇〇番目に美味しい」と勝手にランク付けをしているんです。
僕は東北出身なので甘さが効いてるものだったり味の濃いものが舌に合うんですね。けど同居人は関西は関西でも大阪の方なんですよ。
いやもう騒がしい騒がしい「こんな甘いもん食うてたら死ぬんちゃう」、「関西は薄味やねん」、「ほんまなんも分かっとらんな」なんてアレコレと大人しくて物静かで優しい東北人に言ってくるもんだから東北の砂糖醤油で出来た血が煮えたぎりますね。
砂糖と言えばですけどよく頭を打った時に、ばあちゃんに砂糖水を頭に塗ってもらってました。今思うとあれはなんだったのか不思議です。あと不思議と言えばなんですけど涌井家には1つの何か摩訶不思議な伝統と言っていいのか独自の文化らしきルールみたいな儀式があります。母方の方の儀式の話です。
これは靴に関しての儀式です。
靴って中々の消耗品で僕なんかは1ヶ月あればボロボロに出来るってほど足が暴れ回ってます。なので靴を買う機会が少なからずある訳です。「新しい靴を初めて履く時は夕方に履いてはいけない、履くのならば午前中におろす」とゆうようなルールが存在します。
これだけでは終わりません。新しい靴の裏をフライパンの裏で擦り「汚す」とゆうような儀式が存在します。
その儀式の理由は「夕暮れには幽霊が出てきて新しい靴を引っ張っていき怪我をするから」だそうです。なのであえて汚して新品とバレ無いようにするんですね。
何だか自分で書いていて笑えてきました。
小さい頃から当たり前の光景だったので初めてそれを友達に見られた時は「何をしてるいるの?」って言われて逆に「え、やらないの?」ってなったような気がします。東京の自宅でも新しい靴を買ったらこの儀式は欠かさずやっています。
とこう色々な事で騒いだりして朝方までなんの話かわからない話を永遠としていたのも、なんだかんだ懐かしいです。