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2016年5月小山 幸佑

Room 317

首都はハノイ、だけれど一番大きい都市はホーチミン、という少しややこしいベトナム。
ベトナム戦争で北ベトナムが勝利し北の首都であったハノイがそのままベトナムの首都となったという経緯があるそう。
もし南が勝利していたらホーチミンの旧名サイゴンがそのまま首都になっていたことだろう。
日中の殺人的な陽射しの中でぶっ倒れそうになりながら、ミュージカル「ミス・サイゴン」の地に立っているんだなぁと感慨も。

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主観だがベトナム全土で思うことは、ベトナムは「熱」を感じない国であるということ。
国民の平均年齢が25歳であるにも関わらず、若さが作り出す人々のエネルギーの渦のようなものがこの国には殆どない。

政治家や高官の汚職と腐敗が横行しているベトナム。
一党独裁の政権下では、毎年行われる国政選挙も当然ながら出来レース。
そんなことも要因にあって、特に「敗戦国」である南の住人は、ハナッから政治への関心も著しく低いそうだ。
 

ここに漂うのは南国の開放的な大らかさ、というよりも、閉鎖された空間にたちこめる諦めムード。 
うだる暑さの中で街ゆく人々の動きまでもゆっくりしているように見える。
3秒に1回は聞こえるバイクのクラクションにイライラしてるのは旅行者の自分だけで、現地の人々は表情ひとつ変えることはない。
それは単に彼らがその生活に慣れているから、ただそれだけだろうか。

むかし英語を学びに行ったフィリピンでは、人々のその明るさや前向きさ、渦巻く熱に毎日圧倒されたものだけれど。
そんなことを考えながら、ホーチミンの街を歩いていた。

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小さい頃、お家から保育園までの半径せいぜい2km圏内の小道が自分の世界の全てだった。
そのすぐ先には大きな崖があって、人も車も川の水も何もかも全てそこから暗闇へ真っ逆さまに落ちていくのだった。
擦り傷を作りまくって練習して自転車に乗れるようになってからは、世界の大きさは隣町まで広がった。
電車に乗って、深夜バスに乗って、飛行機に乗って…今自分はあのお家から数千キロ離れたベトナムに居る。
そうやって自分にとっての世界を広げて行き、同時にその中での自分の位置を知る。
周囲や社会への関心とはそうやって自然と湧き、培っていくものだと思っていた。

ところがここでは、社会だなんだということより、みんな自分たちの今日の幸せを一番に考えている。
マーケットで偽物を売りつけたりタクシー料金を水増ししたり、観光客をちょろまかしたりして、そうして家族を養い守り、自分の手の届く範囲を幸福で満たそうとしている。

その姿勢は決して諦めなどではない。迷いがない。まっすぐだと思った。
彼らの生き方は潔く、シンプルで、だからこそ純粋だ。

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ホーチミンの中心地に戦車が通れたり滑走路にできそうなくらいの広さの大きな一本道が続いていて、休日の夜はそこに露店やストリートパフォーマーが集まりちょっとした遊び場になっている。
そこでブレイクダンスを踊って大勢集まった観衆を沸かせていた若い男の子5人組が、沢山のシャボン玉が飛び交う夜空に向かって叫んだ。
 
「Welcome to Saigon!」
 
ホーチミンの人々の多くは今でもホーチミンのことをホーチミンと言わずに「サイゴン」と呼ぶ。
江戸っ子、みたいなものかな?
そんなサイゴンっ子にとってベトナム戦争は「歴史」と呼ぶにはまだまだ日が浅いのだ。
国によって街の名前を変えられた後もかつての敵国の大将の名前をあえて使わないのは、誇りか、意地か、それとも。

何気ないことだけれど、そのことに気付いてはっとする。
 
やっぱりそうだ、諦めたんじゃない。
くすぶっているだけで、まだ熱を持っている。きっと。