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2015年4月10期生引率スタッフ
36日目 カンボジア・プノンペン / Day, 36 Phnom Penh, CAMBODIA
こんにちは、引率の山田です。
3カ国目、カンボジアでの個人撮影が始まりました。
Hello. this is YAMADA. in 3rd country, Cambodia, Students have started to shoot with each other .
全員プノンペンに滞在するため、まずはそれぞれの拠点となるホテルに移動しました。
All students are staying continuously at Phnom Penh. They have moved to other hotel in same city.
学生たちを見送ったあと、私はプノンペンにおいて欠かせない場所を訪れました。
After I watched them disappear, and went to “Killing field”
『キリングフィールド』
かつてカンボジアがポルポト政権下にあった1978年、当時の人口800万人のうち300万人もの人々が罪もなく
虐殺されました。音声ガイドが語った「日本の人口の4分の1が殺されたと考えてみてください」という言葉が、
その残虐さを強調していました。
今では静かに思えるこの場所には、未だに遺骨や衣服の切れ端が見つかるそうです。歴史的な事実とは言え、
まだまだ最近の話です。
そしてその翌日に訪れたのは、国立トゥール・スレン虐殺犯罪博物館です。
ここは、1976年4月頃に反革命分子を尋問し、その係累を暴くための収容所です。
2年9ヶ月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのはたったの8人だそうです。
元々は学校ですが、無人となったプノンペンの中心地に位置していたため、クメール・ルージュによって転用
されました。確かに外には鉄棒などもあって学校のようですが、中には当時使用されていた鉄製のベッドや当
時の写真などが展示されています。
昨日訪れたキリングフィールドで大量の白骨化した遺体が発見された時の写真を見て、今では観光客を呼べ
るまで綺麗になったあの場が、ほんの30数年前には死体の山があったことを改めて思い知らされました。
ポルポトが亡くなったのは、1997年。当時のカンボジア国民の85%が14歳以下の子供だったそうです。
それだけ大人たちが殺害されたということ。そして、現在カンボジア国内にいる大人たちは当時子供として
現場に存在していたのだと思うと言葉が詰まりました。
初めて訪れたカンボジア。到着したその日には他の国と比べても決して発展しているとは感じられませんで
した。しかし、その状況からここまでになっていると知った今では大きな進歩をしているのだと知ることが
できました。
定時連絡時にスカイプで話した学生たち。
元気そうで何より。重くなった気持ちを晴らしてくれる彼ら。
個人撮影期間中に彼らの無事を確認できることは本当に嬉しいことです。
アジアの現状を目の当たりにし、正面から向き合って成長していってもらいたいですね。
I was relieved to see students. and was able to feel better by them. It was glad for me to see them.
I hope that they will grow up in Asian countries.