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2014年7月本田 直之

写真家はレンズによって何を燃やす

ナマステ。本田です。

この暗さじゃもう今日は撮れないな。
いつも通りに撮影を終えた頃、私はカトマンズのタメル地区、その外れの住宅地にいた。山に隠れる前の最後の夕陽に照らされた場所を追いかけていたら西へ西へと移動してきていた。明日のロケハンを兼ねてぶらぶらと遠回りしながら宿へ帰っていると、小さな寺院を見つけた。
周りには住宅が建ち並び、子供達や犬が遊び回るちょっとした広場の隅にその寺院はあった。カトマンズには有名な寺院があり観光客で溢れているが、観光地ではない人々の生活に馴染んでいるそれに興味を持ち境内へ入ってみた。境内と言っても全体で三十㎡もない小さなスペースに近所の人や学校、仕事帰りらしき人達がぽつぽつと足を運んでくる。慣れた様子で一連の作法を済ませお祈りを始める姿から人々の生活の一部であることが窺える。見様見真似ではあるが私も同じようにお祈りをした。その土地の神として祀られているものへの挨拶はしておく。
カトマンズの夜は街灯が少ないため、空が暗くなってしまえば足場の悪い泥濘んだ道はよく見えない。寺院の造りや目に見えない信仰心を充分に見た気になって満足したので、早く帰ろうと思い入ってきた時とは違う出入り口へ向かった。
すると出口まで五メートル程という所で、視界の隅に見慣れた光景が飛び込んできた。
それはバラナシの火葬場でよく見たもの。黄色の花飾りにオレンジの布、ごろごろとした大きな薪。すぐに足を止め二、三歩後退して覗いてみるとそこはやはり火葬場であり、遺体が一体焼かれている最中だった。数段しかない階段を上ると、壁に囲まれていた内部にはちょうど一体だけ焼けるスペースと、その真上にだけ屋根があり、周辺にはこれから使うであろう藁と細かな藁がたくさん散らばっていた。
そこには三人の男がいて一人は薪を焼べ、二人は何事か話している。

こんばんは。ここで見ていてもいいですか?

既に帰ろうとしていたことも忘れ、近くにいた二人に声を掛けると、どちらとも取れる表情で何やら聞き取れない言葉を返されたので階段に腰掛けた。しばらく眺めていると火が安定したことを確認したのか、薪を焼べていなかった方の一人が私の隣に腰を下ろした。眼鏡を掛けた初老の男だ。
これはあなたの仕事ですか?
私が尋ねると、首を横に振った後に遺体を指差しながら、

「ファミリー。」

とだけ呟いた。日本で同じような状況になった場合、日本語でさえ、”この度はご愁傷様でございます”の一言がスッと出てこない私に、そのうえ英語で何かを言えるわけもなく頷くことしかできなかった。
男は燃え上がる火をじっと見続けており、私もまたそれに習うように一点を見つめながら思考を巡らせた。
今燃えている遺体はきっと彼の親であり、それを自分の身に置き換えてみるという誰もがやってみること。今日の日本の火葬事情は、棺に納められた遺体を見送り、立ち上る煙を胸に刻んだ後、遺骨を拾うものだと思っている。物心がついてからというもの親類の不幸がないこともあり、実際の仕組みは知らないし、知ろうと思ったこともない。そして目の前で立ち上る炎の隙間から覗く頭蓋骨を眺めていると、日本の火葬はどこか冷たいような気がしてならなかった。最後の最期まで見送ることができるのはとても良い文化だと感じる。何より薪によって燃え上がる炎を眺めていることは、目の前で燃え続ける人間と全く繋がりのない私をなぜだか落ち着かせる。不謹慎だと思う。しかし私が隣に座っている彼と同じ立場になった時にはこのような形で別れたいと強く思った。

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そんなことを考えていると、彼は立ち上がり藁を掻き集めて汲んであったバケツの中の水に浸してそれを焼べていく。再び隣に戻ってくると、私の肩に手を掛けながら階段に腰を下ろした。どうやら彼は脚がよくないようだ。

あれはあなたの両親どちらですか?

またしても私が尋ねる。

「ブラザー。」

英語が得意ではないようで短い言葉で返ってくる。私の勝手な解釈でどちらかの親であると思っていた。

兄と弟、どちらですか?

私が訊くと、彼にとっては難しかったらしく理解できなかった。

「お前はどこだ?ジャパンか?アメリカか?」

初めて彼からの質問であり相応しくない二択に答えると、そうかジャパンかジャパンかと頷きながら私の背中を叩いて微笑んでいる。
彼はその後、鼻歌まじりにぼーっとしたり、俯いたり、仰向けに寝転んでみたりした。そうしている間も絶えず火力を維持している男と笑い合いながら会話もしていた。
ふと気がつくと、この少ない会話だけでかれこれ二時間も火葬を眺めていた。どうやら火葬も終盤らしく、ここには既に藁も薪も焼べるものがなくなっていた。いい加減にそろそろ帰ろうと思いその旨をジェスチャー混じりに伝えると、

「マイフレンド!ナマステー。ナマステー。」

ナマステという言葉は、朝昼夜を問わず、出会った時も別れ際でも使える挨拶である。素敵な言葉だ。
笑顔で手を差し伸べてくる彼と握手を交わして、車のヘッドライトのみに照らされた道を泥水を跳ね上げながら帰路についた。

このブログが始まって4ヶ月ですがテイストがあっちこっち行き来しているのはどうしたらよいのでしょうか先が見えません。