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2014年4月岸本 絢

私の器にはあまりにも大き過ぎる

二ヶ国目、ベトナムにやって参りました。
特注の減光フィルターも失くしていた事を内緒にしていた岸本です。ハノイに来て8日が過ぎようとしています。この街は毎日、毎日曇りか雨。普段晴れの日に好んで写真を撮る私にとっては、かなりの痛手です。
秋田県民、新潟県民の自殺率、うつ病率が高いのは、年間の日照時間が、全国的にみて極めて短いからという説もあります。本当かどうかわかりませんし、私には全く関係ありませんが、毎日、どんよりとした気分で淡々と撮影をしています。今置かれた状況下で、出来ることを最大限やらなければ、ですね。
ハノイには、ベトナムがフランスの植民地下にあった頃に建てられたコロニアル建築がたくさん残っています。1873年にフランスに占領され、1887年以降、フランス領インドシナの中心地として繁栄しました。1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍が敗退し、第一次インドシナ戦争が終焉を迎えるまで、約80年間、ベトナムは植民地下にありました。
折角なので、被写体となる建築物のお話を。
ハノイの中心地である旧市街の南側、ホアンキエム湖から少し歩いたところに、オペラハウスがあります。この辺りは、フランスがハノイに上陸して、初めて接収され、租借地となった場所でした。1911年にパリのオペラ座を模して建設されたこの建物では当時、オペラや室内楽、演劇などが行われていました。現在も一週間に1、2回のペースでコンサートや劇が開催されます。
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夜のオペラハウス
内観の撮影がしたかったのですが、中の見学はチケットがないと出来ないということで、一緒にハノイに滞在していたぽんちゃんと、クラシックコンサートを聞きに行くことにしました。運良く、日本人が指揮するベトナム国立交響楽団のコンサートがあり、撮影目的とはいえまさかのベトナムでクラシック、ということでご機嫌で出かけました。
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イオニア式、ドーリア式の柱、壁面の細やかな装飾、小窓の付いたドーム屋根など、外観も素敵ですが、中に入ると、大理石のエントランスホール、大きなシャンデリアがあり、ヨーロッパにある劇場のような馬蹄形スタイルのホールは圧巻でした。東南アジアにいるのが信じられない、そんなことを話しながら席に着きます。コンサートが始まり、演奏を聴くまではいい感じだったのですが、、
やはりここはベトナム。クラシックの知識なんて全くないに等しい素人の私の耳にも、素晴らしい演奏とは言えないものでした。まだまだこれから、ですかね。
しかしもっと気になったのは、観客側の鑑賞態度。演奏中のお喋りはもちろん、ケータイをいじっていたり、きゃっきゃ笑っていたり。子供連れも多かったので、席を何度も移動したり、前の椅子を蹴ったり。オペラハウスの歴史は古くとも、一般人に文化が浸透していない様な、そんな気がしました。クラシックが敷居の高い音楽である必要はなく、多くの人に開けていていいとは思いますが、最低限の鑑賞態度は、守って欲しいところでしたね。
けれども、内観を見学できた上に、東南アジアでクラシックを聞くというなかなか無い経験ができたので、何はともあれ満足です。
ブログ、サボっていたのでまだまだ続けます。ちゃんと建築の話を。
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ハノイには、古典主義的なコロニアル建築だけではなく、ベトナムの伝統的な要素を取り入れた建物もあります。その代表例がこの、歴史博物館とハノイ国家大学。フランスの建築にインドシナ要素を取り入れた建物です。都市計画家であり建築家であるエルネスト・エブラールというフランス人がこの両方を建てました。確かに屋根や装飾は西洋風ではないですよね。
ところで、皆さんお気付きになられたかもしれませんが、ハノイのコロニアル建築って、黄色に塗られたものが多いのです。今回取り上げた建物以外にも、黄色や、黄色に近いクリーム色のものをよく見かけます。これには一説ありまして、去年、プランニング中に愛読させて頂いたハノイ建築の本にこのように書いてありました。
「これらの建築物は、形はフランス的だが、フランス人にとって南方を意味する黄系色で塗られており、いわば「色の南方趣味」ともいえるものである。フランス人にとって、黄色い建物は南部にあるものだった。南仏にいけば、たしかに黄色い壁の建築が多い。これは、プロヴァンス地方で産出するオークルなどの石材に由来するが、建築材料として盛んに使用され、インドシナへも輸出されていた。オークルの実際の使用はインドシナではごく限られていたと思われるが、壁を黄色に塗ることで、建築家たちは南方の地に立つ建築であることを表現した、ということのようだ。」(p.15)
『建築のハノイ– ベトナムに誕生したパリ』, 大田省一著, 増田彰久写真, 白揚社, 2006年
ベトナムに南仏を思い描いたのでしょう。植民地下でなくなった今でも、色が薄くなるとペンキで綺麗に塗り直されます。今日撮影しようと思っていた北門教会も塗り替え作業が終わったところらしく、マリア様率いるサーカス団のようになっていました。ペンキがかからないようにしているのでしょうが、流石にこの状況では撮影も難しいので断念。
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とにかく淡々とシャッターを切り続けたハノイ滞在も、今日が最後の夜となりました。実は今日、旧市街をふらふら歩いていると、ハノイに住んで写真の仕事をしているフィールドワーク6期生の高野さんに遭遇しました。遅めのお昼ご飯をおごって頂き(ごちそうさまでした!)、話は自然と写真に関するお話に。フィールドワークの話、写真集の話、写真家の話、写真展の話、就活の話などなど、、出発してからこういう話をする事も無かったので、とても良い刺激になりました。悪天候の撮影状況の他に、撮った写真を確認する事も出来ない不安や、撮影方法についても少し悩んでいたのですが、とにかく頑張らないと!とちょっと前向きになりました。ありがとうございました。
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(隠し撮りした上に勝手に載せちゃいました、ごめんなさい!)
明日からは、ホーチミンです。ここ数日、夜ご飯を一緒に食べ、宴会をするほど仲良くなったホテルスタッフのお兄さん、お姉さんや、通るたびにキャーキャー騒がれる角のフォー屋のバイトちゃんたち、飲み物を買うついでにキャンディクラッシュがどこまで進んでいるか報告し合っていた近くのコンビニのお兄さん、お姉さんともさようならです。折角、この街に慣れ、顔なじみもたくさん出来たというのに。早過ぎる出発です。
ホーチミンはこの時期平均38℃もある街なので少し不安ですが、気持ちを切り替えていかないといけませんね。あ、ちなみに減光フィルターのことですが、さすが私の持ち物、ちゃんと手元に戻ってきました。ホーチミンの目標は、なくしものゼロで行きたいと思います。ではではおやすみなさい!