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2014年3月山本 遼
【003】漢字、かんじ、カンジ。
台湾は北の町「基隆」にて。
滞在して4日目、一日に3回は道を訪ねられるくらいになった。
町に染まりつつある。そして、台湾のおじさま方にモテモテな、山本。
阿里山の山頂で、はたまた駅中のビジターセンターで、そして野柳公園で。
言葉は通じずとも、日本も台湾も漢字文化。皆、優しく親切な人たちだった。
突然だが、ブログをご覧の方々は日本に生まれてよかった、
日本人で良かったと思った時のことを覚えているだろうか。
みそ汁を飲んだとき。清潔なトイレで用をたせたとき。
それとも、春夏秋冬の季節を味わうことができたときだろうか。
小さい頃はとりとめもないことでも、段々年を取るごとに意識するようなことは沢山あって、
私にとって漢字とひらがな、それにカタカナが使えることは日本人で良かったと
思わせてくれる大切な要素の一つだ。そう台湾の旅を通して、改めて感じた。
ここで少し日本語の歴史を辿ってみるとしよう。
現在日本人が使っている日本語というのは、実は100年ほど前に成立した比較的新しい言語になる。
周知の通りその原点は中国語の漢字だが、
歴史の教科書でもおなじみの漢委奴国王と書かれた金印が日本語のスタートだった。
それまで、絵や記号を用いていた日本人にとって中国の漢字は
とてもセンセーショナルなものであったのだろう。瞬く間に日本中へと知れ渡っていく。
ただ、日本人にとって漢字だけで意思疎通を計るというのは難しいものであった。
高校の授業や大学受験の時に漢文を学んだ人は多いと思う。
私も文系だったので強制的にやらされたが、「レ点てなんだよ!」と
漢字なのにいまいち理解に苦しむところが多々あったことを今でも覚えている。
その後、歌人たちが「ひらがな」を生み出し、
それを追うかのように仏に仕える僧たちによって「カタカナ」が編み出された。
これら知識人の活躍によって日本語は、3つの言葉を用いた言語として世に広まっていく。
ちなみに関西弁や九州弁などの方言とされている言葉たちの背景には、
江戸時代に入り幕府が押し進めた「藩政」の影響がある。
一度は各地に広まった日本語も、
藩政によって経済的にも文化的にも独立した藩の中で使われるようになり、
藩ごとに特化した日本語が方言として成立していく。
だから、もしも藩政が行われなかったら方言というものがなかったかもしれない。
いや、無ではないだろうが確実に標準語の餌食になっていただろう。
そう思うと藩政を実施した徳川家康さんには少なからず感謝している。
私の大好きな京都弁や山口弁に一役かってくれてありがとうございます。
それから明治・大正期に入り、
教科書の作成や小説家たちの活躍によって現在の日本語の形に整理された。
最初にやってきた漢字から2000年。
ひらがな、カタカナが誕生して1100年。
分かりやすいように整理されて150年。
長い歴史の中でさまざまな形に変化しながらも、
他の大陸にはない独自の言語として発達した日本語。
旅行中に出会った日本語を学んでいる人たちが、
「とても日本語難しいね!」と言っていたのが頷ける。
だって、3つの言葉で成り立っているのだもの。
でも、そのおかげで私はオノマトペで自然の音を理解したり、
漢字で他国の人と意思疎通ができたりしている。
日本を出て、もう10日ほど。
旅というのは世界を知る行為であり、自分を見つめ直す行為でもあるのだと
止まない雨音を聞きながらベットの上でしみじみと感じた。