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2014年4月山本 遼
【004】霧の中の鼻歌
am5:00起床。
まだ夜が明けきらない頃、「ピピピ・・・」と目覚まし時計が鳴り響く。
昨夜はなんだかんだパッキングに時間を取られ、寝るのが遅くなってしまった。
少しだるい体を勢いよく起こすと、目の前の化粧台の椅子に同室の海くんが座っている。
もう出発する準備は出来ているようで、私は目をこすりながら彼と朝の挨拶を交わした。
集合時間は5:45。バスが出るのが6:00。急いで顔を洗い、歯磨きを済ませる。
ベットに出してあったパソコンをバックにしまい、忘れ物がないか二人で最後のチェックをした。
朝ご飯を買いに外へ出ると、ビルの間から鉛色の雲が顔をのぞかせていた。
雨が降っていたのか、アスファルトが濡れている。体に張り付くようなジメジメとした湿気も気持ち悪い。
予約していたミニバスは、定刻通り6:00にホテルの前に到着。
気の良さそうな運転手のおじさんに「ニーハオ。」と右手を上げながら挨拶をする。
おじさんは眼鏡をかけていて、どこか私の親戚のおじさんに似ていた。
皆のバックパックを後ろに積むと、車は空港へと出発した。
昨晩、山下と買いにいったハムとチーズ、表面にネギのような野菜が練り込まれたサンドイッチと
朝、セブンイレブンで買ったオレンジジュースを早速取り出す。
味は、まあまあ。見た目は塩っぱそうなのに、なぜかパンの生地自体が甘かった。
オレンジジュースは、安定の美味しさ。こういうところでビタミンを摂取しておかないと
あとあと大変なことになるのは、これまでの山や旅の経験から学んだことだ。
といっても、ジュースよりは本物の果実の方が良いのだけれど。
パンを頬張っていると、どこからともなく音が聞こえてきた。
私は助手席のすぐ後ろの席に座っていたから、
最初運転席のスピーカーから音楽が流れているのだと思っていた。
「んーんーんんんーんーんんー」
耳を澄ますと、そんなリズムと音が聞こえる。
「んーんーあなーたーんーんー」
ビブラートを良くきかした男性の声。でも、少し歌詞が片言。
声がどんどんとはっきりしてくる。
「あなーたーはーどーこーへー」
歌い手は、運転手のおじさんだった。よくよく運転席を見渡せば、
五木ひろし、美空ひばりなどの名前が書かれた演歌のCDがちらほら見える。
おじさんの鼻歌にのせて、車は空港へと続く高速道路のような道をひたすら走ってゆく。
次第に雨雲は霧へと変わり道路へと覆い被さっていった。
フロントガラスについた細かな水の塵をワイパーが左右に除ける。
その音がメトロノームのようにリズムを刻み、おじさんの鼻歌がハーモニーを奏でていた。
そんな車内に体を委ねて目を閉じながら、
昨晩、大学時代からの友人である李さんと食事に行ったときのことを思い返した。
彼とは大学時代に学校の船で南の島々を回る研修航海という授業に参加したメンバー同士だった。
100名ほど学生が14班に分かれて、春休みの一ヶ月程を共にする。
台湾の留学生として参加した李さんとは別の班だったが、
航海中東京で食べたラーメンの話や育った場所の話をしてくれた。
「日本へ戻ったら、ラーメン食べにいこうよ!」
「いいですね、ぜひ行きましょう!!」
彼と交わしたこの約束を果たすことは、まだ叶っていない。
でも、いつか私が台湾に行った時、李さんが台湾を案内してくれるというもう一つの約束は
今回のフィールドワークで叶うこととなった。
ベトナムに移動する前夜、18:00に台北駅の東三門出口で待ち合わせた。
私は10分程前に到着し、彼が来るのを待った。しかし、時間になっても彼の姿が見えない。
ネットも電話回線も繋がらないから、不安が押し寄せる。
外と中を行ったり来たり、周りの人に怪訝な目をされながら彼を探した。
「りょうくん!」遠くの方から声が聞こえ、そちらに顔を向けてみると
暑そうなベージュのダウンを羽織った李さんが手を降っていた。
今しがたまで電話をしていたのだろう。片手に携帯を持ちながら、
彼は遅くなってしまったことを詫びた。
久しぶりにあった彼の顔は少し疲れたような印象だったが、
私がまだ台湾で小籠包を食べていないことを話すと、
目の色を変えて「じゃあ、美味しい店知っているからさっそく行きましょう!」と先導してくれた。
思い返せば、この数時間の間にさまざまなことを話したと思う。
現在、大変な騒ぎになっている立法院占拠のことはもちろん、
台湾の食べ物や中国語と台湾語の違いなども教えてくれた。
中国語で「リンゴ」は「苹果(píngguǒ)」と発音するが、
台湾語では、「リンゴ」は「リンゴ」のまま通じるという。
これは中国から入って来た福建の言葉と日本語とが混じり合った結果だと、
空に描いた地図を元に身振り手振り李さんは説明してくれた。
町を歩いている時、英語が通じないおばさんと会話したが
お互いに何となく理解し合えたのはそんな共通性があるからなのだろうと、
話を聞きながら心の中で一人頷く。
話が絶えない中、私は彼にある一つの疑問を投げかけた。
それは個人撮影中基隆で出会ったビジターセンターのおじさんに教えてもらったこと。
私が台湾の北の町、基隆に到着した3月末、
その日はアジアの子どもを撮影対象にしているポン(菅原)と一緒に夕飯を食べにいった。
前日に何時にどこで落ち合うか連絡をしていて、彼女は日中子どもの集まりそうな公園へ行くと
言っていたから何気なく入った夜市のおじや屋でご飯を食べながら撮影の話を聞いた。
結果から言えば、彼女の行った公園には子どもは全く居なかった。
大人すらあまり居ない状況だったから、彼女は途方に暮れたという。
これは彼女も私も台湾に着いてから常々思っていたことなのだが、
町中で子どもを見る機会は少ない。それは首都台北でも、基隆でも同じだった。
そのことをひょんなことから仲良くなったビジターセンターのおじさんに聞いてみると、
女性がさまざまな仕事に従事できる時代になって結婚率が低くなっていること、
また最近では台湾の男性とベトナム人の女性が結婚することが多くなっていることも教えてくれた。
確かに夜市を歩いていると、顔の濃い女性が何人かいるなとは思っていた。
アジア系と言えばアジア系だが、台湾人と呼ぶには明らかに無理がある。
調べてみると少子化の原因は、おじさんの解説通り女性の社会進出と
男女での結婚観や男尊女卑の考えも少なからず理由に挙げられるようだった。
また、成人男性と成人女性でもらえる給料の差というのも関係しているらしい。
理由はそれぞれの国であるにしろ日本も少子化の一途を辿っているから、それほど驚くことはなかった。
しかし、ベトナム人との結婚が増えているというのはこれまで耳にしたことがなかったから、
李さんに会ったら真っ先に聞いていようと思っていた。
彼によれば、ベトナム人と結婚する台湾人は田舎の方に住んでいる人たちだという。
そういった人たちは都会で仕事を頑張る李さんのような青年実業家に比べて、
いかに自分は仕事をせずに金を稼ぐかを考えている。そして、恋愛には無頓着。
半ば強制的に台湾に呼び寄せ結婚し、働かせる。仕事は、重労働や屋台のサービス業などばかり。
ビジターセンターのおじさんも言っていた、いわゆる「3K」の仕事に従事している。
「だから、今の小学校のクラスの1/4の子どもはベトナムや他の国とのハーフですよ。」
そう語る李さんは少し苦い顔を見せた。
日本にも様々な国の人がやって来て、結婚するなり、仕事をするなりしている。
もちろん私の小学校からの友達の中にも、ハーフの子が何人かいる。
大学に入って、外国からきて日本に住んでいる友達もできた。
全然意識はしていなかったが、日本もよくよく考えれば多民族国家になっていく途上のようだ。
そう、台湾の現状を見聞きし再び認識していた。
サービス貿易協定可決によって、大変な問題に直面している台湾。
その陰では、着々と多民族国家に成長する基盤が出来ているのかもしれない。
もし、5年後、10年後台湾に訪れたら、そこにはマレーシアで出会った光景と同じ
光景が現れているのかもしれない。
彼とホテルの前で分かれる前、
「日本に来るときがあったら、連絡して!美味しい日本酒を持って迎えるよ。あとラーメン、絶対ね!」
そう固い握手しながら約束した。
この先台湾がどんな結末を辿ったとしても、私はこの約束を果たすことを心に誓った。
目を開けると、フロントガラスの向こうには空港が見えていた。
相変わらず、おじさんは演歌を気持ち良さそうに歌っている。
出発する前、先生方に代が奇数の年は何かしら起こるからと告げられていた。
次の国はベトナム。不安と期待とを感じながら2カ国目へと出発する。