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2018年8月侯 慧

中国*稲城亜丁

私の祖籍は中国の北にある黒竜江省という名の場所で、その隣省の内モンゴル自治区で生まれました。私が生後一か月の時に、おばあちゃんの病気を療養するため、比較的に気候が穏やかで快適に過ごせるという南にある広東省へ引っ越すと両親が決めました。もう一つ決め手になったのは、広東省にも親戚が沢山いて、故郷から離れても寂しく感じないとのことでした。住む家は郊外にあり、マンションの裏側に遠方の山までに広がる空き地があって、それを住人達で勝手に分配し、作物栽培してました。お母さんは家のことを片付いたあとの残り時間に畑作りに励みました。イチゴ、パイナップル、トウモロコシやその他の野菜、10年間で約5種類のバナナの木を200本近く栽培しました。当然食べきることもできず、そのまま腐らせることも勿体無いので毎日自分で作る野菜を市場で売る近所のおばさんに全部ただで渡してました。だけど、イチゴだけはお母さんに重宝されてました。なぜならば、害虫にやられたりしてとても傷つけやすいからです。なので、それなりに労力かけなきゃいけないので数株しか作りませんでした。ここにあるイチゴいつ頃になったら食えるの?と畑へ遊びに行くたびに隣で作業するお母さんにしつこく聞きます。やっと緑色から薄いピンクになり、もう少ししたら食べれるかとの時期になると、実ったイチゴが必ず行方不明になります。お母さんは盗み食いした人が誰なのかを予測しているため、毎回その人の家まで理論しに行きます。盗み食いをしたのは畑より奥の方に住む私よりも年上の幼い姉弟で、彼らの食い意地は私に負けないくらい張ってました。私には11歳離れてるお姉さんがいます。双子として生まれたので本来ならば二人のお姉さんがいるはずなのだが、片方の子は生まれてすぐ病気にかかりなくなりました。えくぼがあってお姉さんよりも美人だったらしいです。私が小学校低学年そして、姉が高校を通っていた時期のことです。朝ごはんを作っているお母さんに姉今日学校だから代わりにおこしてきてと頼まれました。起きた姉は私の方を見て文句をぶつぶつ言いながら凄い勢いで睨みます。また別の日、姉がダイエットを決心して、テレビの前でDVDを見ながらヨガをし始めてました。お母さんと私はすぐその横のソファーでキャンディーを食べてました。お母さんが私に姉にもシェアしなさいと言い、キャンディーを渡されました。それを受け取り、姉に手を差し伸べたのですが、また、彼女に凄い勢いで睨まれ、ぶっとばすぞと脅されました。
小さい頃のトラウマは姉だけではありません。私が住む106号室のすぐ隣の107号室に住むお母さんの母、私のもう一人のおばあちゃんもそうでした。(病気になったおばあちゃんは父の母)
ある日の午後、私はテレビの前で教育番組で放送しているアニメを見ていて、107号室から突然おばあちゃんはやってきます。私から2メートル離れた椅子に座り暫くアニメを一緒に見ます。約20分経ちますと、なんだ!この番組アニメをやってるのかい!?なんでこんなの見てるのよ??もういい、わしもう帰るよ!!と言い出して、家から立ち去ります。
また別の日、おばあちゃんに家まで遊びにおいでよと言われ、行きました。テーブルに置いてあるリンゴを発見して、我慢できずに手を出してしまいました。すると、おばあちゃんに家から追い出されて、107号室に暫く立ち入り禁止になりました。

   私が8歳の時に病気でおじいちゃんとおばあちゃんは相次いで他界へ(父の方の)。家族で日本に引っ越すと決めたのは、私が10歳の時の出来事でした。日本で中華料理屋を経営している父の妹、私のおばさんが父に厨房を任せたいことで、やはり最後行く決め手になった理由は、日本にも親戚が沢山いて、母国から離れても寂しく感じないとのことでした。

思い出話で長くなってすみません。それでは本題へ。

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この日はお友のショウくんの案内の元で、四川省成都市内にある人気観光スポットの寛窄巷子にやって参りました。地下鉄を使い、20分ぐらいで着きました。チケットは(片道3元)約50円。

 

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寛窄巷子は成都の三大歴史文化保護地区の一つとして寛巷子、窄巷子、井巷子という平行に並んでいる三本の旧街道とこの街道の間に区切られた四合院群から構成されています。清の時代、1718年(康熙57年)にこの地方に派遣された八旗兵たちの駐留地として開かれたの城郭「少城」がこの街の始まりで、最盛期には2万の兵とその家族3~4万人が住んでいたといわれています。、やがてその少城跡は改築工事を経て、2008年6月に清末から民国初期にかけての風貌を彷彿させる45軒の四合院、西洋式の建物、新たな庭園式ホテル等がある寛窄巷子として生まれ変わりました。

 

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通りに、中国の古風な雰囲気が漂う工芸品店や軒下に設けられた旧式の茶屋から現代的でオシャレなカフェショップまであって、色々見ながらエンジョイしてましたが、人でこみこみ、、、何度か前進困難の状況に陥った。

 

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内心年齢かなり行ってそうな耳かき屋の看板犬。

 

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この日から個人撮影期間に入り、私は広州から飛んできた姉ファミリーと成都で合流しました。自分を入れ、5人で4泊5日の四川省の稲城亜丁を巡るバスツアーに参加します。ツアーは姉夫婦が見つけたものなはずですが、聞いたところでなんも把握していないようでした。だた一つ、雪山が見れて絶景に間違えないと保証されました。えっ、雪山!標高絶対に高いちゃう?5歳の姪っ子に行かせて大丈夫かい?とつこっみましたが、???って顔されました。メールで一応四川人のショウくんにも稲城亜丁について尋ねてみたのですが、聞いたことないねこの場所!というのが返答でした。

そんな私の幼い頃の最大のトラウマの姉なんですが、私へ接する態度が変わり始めたのは自分が中学に上がったばかりの頃のことです。姉は中国に帰ることに決意し、それから2年間も会ってませんでした。こうして離れ離れになって暮らしてみて、恐らく私のことを人生のかけがえのない人として改めて認識してくれたのではないでしょうか。えへへへへそれからずっとふつうに優しく接してくれる姉がいます。今回のツアーだって姉の奢りで、私は一元も出してません。

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最初、奢ってもらう好意を断ったのですが、姉があまりにも強情で言われるままに従うことしかできませんでした。ネパールでは節約していたため、ルピーが結構余ってました。インド製の服を姉ファミリー分を購入して、お土産として渡しました。4人ともとても気に入ってくれた様子でした。

 

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ガイドさんの説明によると、稲城亜丁はチベット自治区と隣接しており、標高4500メートル達する高原地区に位置しております。これからの二日間、毎日平均8時間バスを走らせば着く、とのことでした。

 

 

 

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車窓からの景色は緑色が多くて心が癒されましたが、これから毎日8時間以上のバスに乗ると考えると思わずため息が出てきた。

 

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国道317を走る途中でサイクリングする人を沢山見かけました。彼らの横から次々と観光バスや大型トラックがすり抜け、見てるだけでゾックとします。彼らはチベットのラサを目的地として、最低でも三ヶ月かけて国道317・かつてのシルクロードに辿って走ります。

 

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初日からなんと大当たり!前方の道に土砂崩れが起こり、約3時間バスの中で待機させられました。

 

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休憩場↑時刻は夜の7時を過ぎました。本来ならば既にホテル到着してるはず(泣)

 

 

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この時点で標高は4000メートル突破。雲の上を走っていてとても幻想的。

 

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結局ホテルに到着したのは10時過ぎ。昼ご飯やその他の休憩を省き、合計13時間の乗車でした。みんなお疲れ様!