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2017年3月周 孟燕
知らなかった眷村文化
こんにちは、こんばんは、周です。
正直に言えば、私は台湾に来る前に眷村文化は全然知らなかったです。
中国人の私としては大事な歴史を知らないなんで恥ずかしいです。
1949年、中国で国共内戦に敗北した中国国民党は多くの政府官僚、公務員、軍人と関連住民に対し、中国の内陸地から台湾移住政策を実施した。これらの人たちは外省人と呼ばれ、住んでいる村は眷村と呼ばれています。
67年間に立ってほどんどの外省人は眷村から出て行きました。残るのは破れて古くなった建物です。
台北の市中心にある小さな眷村が見つかりました。古い町にボロボロな建物と周りの高いビルははっきりしたコントラストをなしています。まちの中に小さな眷村記念館があり、眷村に関する歴史の資料や当時外省人の暮らし様子を陣列しています。
最後に建安時 代を代表する作家曹植の『七歩詩』を思い出しました。
“豆を煮るに豆を燃やせば,豆は釜中に在りて泣く。本 是れ同根に生ぜしに,相ひ煎ること何ぞ太だ急なる?”