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2016年9月涌井 駿

タイムロード

ソウルに背を向けて釜山に向かっていますが、この列車は座席が進行方向と逆なので、胸はソウルへ向けて背中は釜山に向けて僕は列車に乗っています。いつもの迫ってくる景色はなく、町のビルや街路樹どんどん視界に入ってきては遠くに行き開けてきます。まるで僕は巻き戻しをされたビデオの中にいるようです。体感の時間は進んでいるのに目に入る世界は戻っていくようでなんだかタイムトンネルがあればそんなトンネルをくぐっているようです。
そんなトンネルはないので結局時間も身体も時間の輪を抜けてゆくのですね。
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僕自身もまだまだ若いと思いたいんですが時間はそうはしてくれないので日に日に大人と言うか年をとるとはこう言う事なのではないかと実感します。ついこないだまで20歳だったのに目を閉じて開けたらいつの間にか23歳で今やっとこの歳で時間をみれるようになってきたんだなと考えるし、初めて実感できる世界や現実の触感を楽しんでいます。「じゃあ今までは何をしてきたの?」と問われると「一体僕は何をしてきたんだ」と自分自身でも思いますけど。生きるのに精一杯だったと言うしかないです。dsc08797blog
感覚を主に生きてる僕にとって何かを実際に考える事はとても難しくて綱渡りでは無いけれど感覚と言う一本の糸しかなかくてそれが紐になって、綱になって僕の感覚はそうは簡単に切れないものになってきいるように感じます。弱い感覚なんて言うのものは直ぐに切れてしまうし、その感覚は安いと思うんですよ。その辺の感覚屋さんで買った安い感覚を堂々と自分の感覚と言い放てるそんな人間にはなりたくなかったですし、ちょっとくらいで捨ててしまえるような感覚も要らないと思います。感覚って手に掴めなくて実態の見えにくいものだけれどそれが手に掴めるようになってきたと言うことです。
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こうやって文章を書いていても考えて書くと言うより持った鉛筆と手がペラペラお喋りをしているようです。
けれどこれからも苦労するだろうし、嫌になる時がくるんだと思います。
これからが話(写真)の始まりだと思うと面白いです。今までの人生は今後の話(写真)の回想や伏線になるんだなと思うととても興味深いです。