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2016年9月小山 幸佑

Laughter in the Rain

FW半年間の旅の最後は「フリー期間」。今まで訪れた国の中から2〜3国を選んで自由に訪れる再撮期間。
泣いても笑ってもあと3週間。気合い入れて、本気で撮影してきます!!
 
今までの旅は集合日になれば全員で集まり全員で国境をまたぎ、引率の先生もずっとサポートしてくださっていたのだけれど、フリー期間で再撮へ行きたい国は人によって異なるので今度はひとりひとり個人でバラバラの国々へ散っていく。成田から最安値の航空券を取って、バンコクの街の繁華街から一番近いホテルをネットの口コミと勘を頼りに予約する。この作業ももう慣れたものだ。航空券とホテル(とお金と時間)さえしっかりあればどこへでも行ける気がする。海外というものが随分近くなったなと思う。
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再撮1カ国目はタイ。バンコク。
 
撮影途中、街の交差点の一角にガヤガヤとした人混みを見つけ、近くに行って見てみることにした。
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タイの街のあちらこちらにある祠(ほこら)。
 
中でもバンコク、サイアムパラゴンからほど近いラチャプラソン交差点にあるこのエラワン祠はバンコクの人たちから絶大な人気を誇り、タイでいちばん願い事の成就率が高いとも言われている。タイ人はここをバスや歩きながら通るとき、お参りはできなくても手を合わせて挨拶する人が多い。願い事が叶った人は踊りを神に捧げるため、ダンサーを雇いタイダンスを踊ってもらう。
 
タイの人たちの厚い信仰心が垣間見える場所。いつも地元の人々と観光客で賑わっている。
  
 
 
だが、この祠には悲しい歴史もある。
 
それは、つい1年前、
バンコク中心街で起きた爆弾テロ事件、ここがまさにその現場だということ。
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当時のタイ政府の発表によると死者20人、負傷者は125人。
現場のアスファルトには3キログラムのTNT爆弾で空いた穴を埋めた跡や爆発の衝撃波で折り曲がった街頭の基部などが生々しく残り、周囲の縁石は欠けている。この爆破テロはタイの観光と経済に打撃を与える目的で行われたものと言われているが、外国勢力からの攻撃というよりタイ国内での内政に対しての不満の表れらしいということ以外、詳しい動機は判明していない。当時出回った、実行犯と言われる黄色いシャツを着た男の写真は記憶に新しい。
 
タイでは「黄シャツ=現政府側」VS「赤シャツ=元政権タクシン派」に分かれて今も争いが続けられている。 タイ近代化の父、時には自ら立って政府側とタクシン派を仲裁…というより両勢力の親分を呼び出し威厳ある説論で暴力を叱りつけ、一夜でクーデターを内戦一歩手前でおさめ全国民から尊敬され愛される国王ラーマ9世プミポン(ちなみに写真好きで有名、1000バーツ札に描かれた肖像画ではキヤノンのカメラを基部から下げている)も高齢となり、これから万が一ということがあっては両派の争いの落とし所を失い、内戦や、それに伴う他国の干渉も招きかねない。今後の情勢に暗雲が立ち込めているかのように見えるタイを象徴する事件であった。
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東南アジアを回っていて感じることがある。
 
2011年3月の東日本大震災の折、タイでは国を挙げての日本救済のキャンペーンを実施し全国から募金を集め、日本へ計20億円を超える超莫大な金額の支援をしてくれた。この金額はアメリカ・台湾についでの3位だが、タイの為替と物価水準を考えればその金額の重みや込められた心の暖かさが理解できると思う。2016年4月、FWを出発して間もなく熊本地震が発生した。そのニュースは当時東南アジアでもテレビや新聞で連日報道されていて、当時街を歩いているとたくさんの人々に声をかけられた。「日本人?家族は無事?」「大変だな」「頑張れ!」タイでは「日本大好きだから頑張って欲しい」「プーケットの津波の時に助けてくれた、今度はタイが助ける番だ」「タイががんばって助けるから」タクシーの運転手さんやレストランで隣りに座った人、ホテルの受付のお兄さんがこんなことを言ってくれたのを覚えている。
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冒頭で、海外というものが随分近くなった、と言った。これは単に物質的な「便利になった」という意味だけではなく、精神的な意味においてもそうだ。アジア共同体、なんて理想論を述べるつもりはない。しかし、少なくとも現代の私たちはお互いを知り、理解し触れることができる環境に居る。このことに気付き知ろうとする、注意を傾けることが最も重要なことであると思う。ましてや日本は東南アジアではとても好かれている。それなのに、日本人の多くはタイの内政問題についてほとんど何も知らない人も多い。
 
「タイでテロがあったんだってー」「治安が悪そう」「怖いなぁ」「行くのやめておこう」…対岸の火事だと思って目を向けず他人事で済ませてしまえば自分たちだけは平和かもしれないが、周囲から自分たちへ向けられる温かい心の存在にもまた、決して気付くことはできないだろう。21世紀はそういう時代ではない。
 
大好きなタイにはいつまでも「微笑みの国」であってほしいと願っている。