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2016年7月藤林 彩名

Twilight City

 

 

7/2に古市先生と音寧ちゃんと一緒にチェンナイからコルカタへ飛行機で移動をしました。飛行機は予定より1時間遅れで出発をし、コルカタに無事到着をして空港からホテルまでプリペイドタクシーを使おうとしたものの、さらに1時間待たされてしまいました。ホテルに着いた頃にはかなり遅い時間になっていて眠気と空腹と疲れでもうくたくたでした。初日からインドの洗礼を受けて先の撮影が少し不安になりました。ホテルに到着しレストラで夜ご飯を食べていたとき、インド人女性に話しかけられました。「Kolkata is lovely city.」と彼女は私たちに言いましたが、それがどういう意味なのかそのときの私たちには全くわかりませんでした。

 

     

     

 

撮影初日被写体となる廃墟をひたすら歩き回りながら探すことにしました。途中小雨が降ってきたり、こまめに水分補給はしながらも足を止めることなく歩き続けました。体の疲労感がピークに達し、腕時計を見ると私たちは3時間歩き続けていたことに気づきました。お昼も過ぎていたので休憩をすることにしました。こんなに歩き続けても廃墟がなかなか見つからないことに正直焦りや不安を感じていました。このまま今日は見つけられないのか。明日もその先ももしかしたら見つけられないかもしれない。そんなことを考えながらお昼ご飯を食べていました。体力が少し回復したのでまた廃墟を探しに歩き出しました。Hawrah(ハウラ)という町に着くと、運び屋の男性たちや野良犬やバス、タクシー、オートリクシャーで広い道がいっぱいになり、人々の声や鳴り止まないクラクションの音があちこちから飛び交っていました。一切スピードを落とそうとしない乗り物に轢かれないように気を張り、見慣れない光景に戸惑いながらも目を惹かれ、残りわずかの体力を一気に持っていかれるような混沌とした状況でした。だんだん目と頭が痛くなってきて体力も限界寸前でした。人混みから抜け出すと最初の廃墟を見つけました。その日やっとの思いで見つけ出した廃墟でしたが、撮影する前に体力をほぼ使い果たしてしまっていたのでその日はその場所をゆっくり観察をし、翌日改めて出直すことにしました。

 

     

 

 

 

 

具体的なあてが無い状態で撮影初日のように自分の足で探し回るのも限界がありました。そこで古市先生にある方を紹介してもらいました。その方は学校の卒業生でインド人留学生のロイ・クマール・シャンカールさんです。ロイさんはコルカタに住んでいるので街のことをよく知っています。私が廃墟を撮影していることを伝えると、何箇所か思い当たる場所を教えてくださいました。知らない土地であても無く探し回るのは時間も体力もかなり使うので、ロイさんから教えてもらった情報は非常に有力でありがたいものでした。ロイさんお忙しい中本当にありがとうございました。

 

     

 

翌日からは具体的な場所も把握出来たので、徒歩ではなくタクシーを使い、初日に見つけ出した場所とロイさんに教えてもらった場所へ行き撮影をしました。コルカタではどの廃墟も今まで訪れた国で見てきたものよりも規模が大きくて迫力がありました。廃墟にゴミが捨てられていたり、野良犬が住み着いていることは珍しいことではないのですが、インドの廃墟が一番ゴミの量も野良犬の数も多く、かなり過酷な環境ではありました。

 

 

廃墟の環境は劣悪ですがコルカタの人々はとても親切な人ばかりです。騙そうとする人はいなかったし、カメラを持って歩いているとみんな純粋に撮られたがります。私は普段ポートレート写真は撮らなくて人の写真を撮ることに苦手意識を持っているのですが、コルカタの人はとても人懐こくてこの街では人を撮ることが楽しいと思えました。コルカタに到着した初日にインド人女性が「Kolkata is lovely city.」と言っていたのは街の人々のことだったのかなと思いました。たしかにコルカタの人々が向けてくれたあの純粋無垢な笑顔が忘れられません。コルカタに来たばかりの頃は撮影や治安に対する不安を抱えていました。ですが日々ここで過ごして廃墟に通い、人々と触れ合う中でこの街のことがとても好きになりました。

 

     

 

今回インドで廃墟を撮影するにあたって、インドは治安の問題などから古市先生と音寧ちゃんに撮影のサポートをしていただきました。廃墟という過酷な環境にも関わらず傍でたくさん助けてもらいました。普段ひとりだと出来ないことも二人のおかげでスムーズに撮影を行うことが出来ました。本当にありがとうございました!