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2016年3月藤林 彩名
もしももっと話せたなら
個人撮影4日目。私は雲林県虎尾鎮という所で撮影しています。
高雄から電車で2時間位の場所にあります。
こんな短い移動でも知らない地での移動は、緊張と不安で心細くて仕方がありませんでした。
気持ちはかなりナーバスでしたが、大きな問題もなく電車の乗り換えも順調にできました。
ホテルから50分位歩いたところに目的の場所があります。
ここ虎尾周辺は日本の植民地時代、日本の空軍基地や軍事コミュニティエリアとして利用されていました。
終戦後台湾に返還され、台湾空軍の退役軍人とその家族が住める村として使用されていた歴史があります。
”建國一村”、”建國二村”、”建國三村”、”建國四村”が存在していましたが、
現在は一村と二村の建物はほとんどが廃墟となり、三村は学校として転用。四村は取り壊されました。
私の撮影対象は廃墟なので、今回は”建國一村”と”建國二村”で撮影をしています。
日本の廃墟でも撮影はしていたのですが、あまりの規模の違いに驚きました。
日本の廃墟はここまで放置されることはほとんどなく、建物崩壊の危険性や地域の治安悪化の問題から取り壊されてしま
うか、厳重に管理され立ち入り禁止になっているかのどちらかです。
一部の建物にテープが張られていますが、ほとんどの建物は中に入って撮影することができます。
廃墟となっている場所が不法投棄の場になってしまっているのは台湾も同じようですね。残念です。
どこもかしこも建物や電柱が緑に覆われていています。
村の歴史や地図が載ったパンフレットもあり一応観光地化はされているようですが、ほとんど観光客はいなくてたまに
地元の人が通るくらいです。撮影していると色々な人に声をかけられます。
初めて声をかけてきたおじさん。台湾語でいきなり話しかけられたので、私は日本人ですと言うと、
おじさんもどう言ったらいいのかわからないようで、「おー!ジャパン!」と言いながら握手を求められる。
おじさん「大阪!東京!」私「東京!」おじさん「おー!東京!」そしてまた握手。
このおじさんここに来るたび毎日会う。何をやっている人なのかはよくわからない。でも決して悪い人ではなさそう。
撮影2日目もこのおじさんに会い、ちょっと来てと言うのでついていくと何やら若い人たちがいて、私のことを紹介して
くれた。地元の大学生が建國一村の歴史を勉強していたようで一緒にどう?と言われたので、お言葉に甘えることに。
日本から写真を撮りに来たと言うと、すごく興味を持ってくれたようで「ひとりで来たの?」「クラスメートはどこに
いるの?」「なんでここを撮っているの?」「ここにはいつまでいるの?」など質問攻めに。googlの翻訳アプリを使
って会話。それから「大学のアトリエに来ない?」と言われ、せっかくなので見せてもらうことに。
これがアトリエ・・・めちゃくちゃ綺麗。そしておしゃれすぎる!!
台湾名物・牛肉麺やらフルーツまでご馳走してもらってしまった。お腹が空いていたのでありがたい・・・。
ここで一番仲良くなったクリスティーンとアリスは今年の夏に日本に留学をしに来るそうで、熱心に勉強していました。
お互い日本語と台湾語を教えあうことに。二人は日々勉強してるだけあって日本語の発音はが上手だけど、私の台湾語の
発音が下手すぎて苦労をかけてしまった・・・汗 いや〜台湾語は難しいですね。
このあとクリスティーンが「うちで遊ばない?」と誘ってくれたのでまたまたお言葉に甘えることに。
ここでも台湾名物・豆花(トウファ)をご馳走になりました。もう至れり尽くせりです。
帰りもわざわざホテルまで送ってもらいました。
ホテルに戻ってひとりになると心がじーんと熱くなり1日の出来事にしばらく浸ってしまいました。
翌日撮影に来るとまたいつもの自転車のおじさんが。
すごい雨の量でびしょ濡れで困っていると、おじさんが来てというのでついていくと
前日に行った大学生のアトリエに連れて行かれる。
林さんという男の人がいて、雨で濡れた私を見て新しいタオルと温かいお茶をだしてくれた。
雨がやむまで雨宿りをさせてもらうことに。その間建國村について教えてもらったり。
フィールドワークについて話したりしました。
林さんが名刺をくれて「撮影とかで何か困ったことがあったらいつでもここに電話してきてね。」と言ってくれた。
雨がやむと「君のホテルから建國村はすごく遠いから、自転車を貸すよ。返すのはこの街を出る時でいいよ。」と言って
くれて、確かに毎日往復2時間は大変だったので貸してもらいました。本当にありがたい!!
雲林県虎尾鎮に来て4日目。毎日台湾の人に助けてもらってます。本当に助けてもらってばかりです。
台湾語も話すことができないよくわからない写真を撮りに来た日本人に、ここまで尽くしてくれるのが不思議でなりませ
ん。感謝の言葉を伝えたくても、「謝謝!」しか言うことができない自分がもどかしく、悔しいです。
そして25日には私は雲林県を離れなければなりません。建國村を撮影できるのは明日で最後です。
きっと自転車のおじさんに会うのも最後だろう。この街の人とお別れする前に、言いたいことを考えておこう。