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2015年5月小野塚 大悟

自分に与える役目

僕は英語が話せない。

中、高ともちろん授業はあったけどそれでも身についてないのだから折角旅行に行ったり、美味しいものを食べたりする事が出来るだけのお金を僕の未来のために払ってくれていた両親に申し訳無い。

 

アジアに来て考える事はもちろん写真の事、そして家族の事。

今思えば、二人の親が変わり者男三兄弟の唯一まだまともであろう次男の僕をどんな思いで育ててくれたか、過去の自分に説き聞かせたい気持ちになる。

そう思うのも、世界の第一線より程遠い環境から、自分に出来る最大限の努力をしようとするアジアの僕たちと同じ若い世代がいるから。それと高校までは日本国内の枠で収まるかもしれないけど、大学、社会に出るにつれ、活躍するフィールドが世界になるのだと体感してるから。

 

去年、縁あってカンボジアのプレアビヒアに農園を作る日本のプロジェクトに同行させてもらった。電気も水道も通ってない村で、その時に出会ったある若い女性の事が今でも時より、撮影が辛かったりした時にふと思い出す。

彼女は去年19歳だったから今は20歳になっているはずで、父親は彼女が幼い時に亡くなってしまい、母親と二人でその農園プロジェクトの実務というか、農園の作業を行っている。

灼熱の中、時にはスコールの中雨水の逃げ道を確保するために耕し続ける姿はもう目に焼き付いたら離れない。

 

勤勉で、日本人が主宰する農業の勉強会にも出席したらしい。

僕が実際に見たわけじゃないけど、彼女はその勉強会でのことや日々教えられたことをその日の夜自宅でノートに綺麗にまとめているそうな。

そして勉強会の席で主宰者が彼女にこう質問した。

「なぜこの勉強会に出席しようと思ったの?」

彼女はこう答えた。

「私の夢は母と二人で自分達の農園を大きくすること」

と。

夢には当然大きいも小さいもなく、あるのはその人の努力や熱意がどれだけかってことに本当の価値がある。

 

自分のやるべきことを見つけられる人は数少なく、ましてややるべきことをやれる人間はもっと少ない。それは自分自身に困難を強いるから。

やるべきことのために努力することをこの歳になって、やっと。ほんとやっと身をもって学んでいくのであります。

そういうのも僕も自分のやるべきことがわからずに今までフラフラしてたからってのもあるけど。

まあ、だから僕は歩き疲れたりした時にはなんのこれしき彼女の辛さに比べたら、と思うようにしてる。

 

そして文頭でも言ったけど、

僕は英語が話せない。別に東南アジアの人々も話せる訳ではない。

英語が共用語のここマレーシアでも英語がペラペラという訳ではない人が多くいて、(かといって彼ら同士が何語を喋っているのかはわからない。)けれど彼らは僕よりも知らないであろう英語で僕よりも多くコミュニケーションを取ろうとしてくる。

よく言われてることだけど、本当だなと思うのは、ここ東南アジアなんかでは英語コンプレックスなんか捨ててしまい、彼らもネイティブではないのだから下手くそでもいいから喋ること。誰もうまく喋っているわけではないのだから恥ずかしいはずもない。大切なのは伝えること伝わること。

 

つまり色々飛び火したけど、今のこの超特別に与えられた時間と環境の中で自分のやるべきことをやって少しでも成長することが両親への恩返しになるのだなと思っているのであります。