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2015年4月小野塚 大悟

S21

先日、撮影の合間にトゥール・スレン収容所に行ってきた。

 

ポルポト政権下の時代、革命の邪魔をするもの、僧侶、メガネをかけた者、教師や医者、知識人達を、つまり頭が良さそうっていう理由だけでほぼ無差別に政治犯罪者としてこの収容所に送り込み、1976年からベトナム軍がプノンペンを制圧し発見されるまでの2年間、生き残ったのは8人、約2万人がここで人権も何もない暴力に晒され命を落とした。

のちに収容所の墓地がいっぱいになると悪名高いキリングフィールドに連れて行かれ、そこで処刑されることになった。

トゥール・スレンはこの地域の名前で、軍政権時代は暗号名でS21と呼ばれていた。タイトルは本来の呼ばれ方であるためにS21。

 

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入り口。元は小学校だった。無人になった小学校が収容所として使われた。

なので普通の街中に存在する。ここで虐殺が行われていたとは思えない日常的な場所。

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中庭が存在して、校舎として使われていたものがあって、外見はごくごくどこにでもありそうな小学校。

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校舎の入り口は有刺鉄線が張り巡らされている。S21はできるだけ発見時のままを維持してるそうなので、これも当時のままかな。

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実際に使われていたベッド。

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足枷。

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こういう使われ方をしたんでしょう。

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発見時、拷問室にはポルポト軍が逃げ去る間際に処刑されたと思われる14の死体が放置されていて、その写真も展示されてあった。

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床の血痕がナマナマしい。

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壁一つ隔てた向こうは日常世界。この窓を、窓の向こうをずっと見ていたんだろうなー。と

展示には触ることができないので、柵に触れる。

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老若男女問わず、

罪のない人たちが革命という一人の妄想のためだけに殺されてしまう。

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訪れる人はほぼ欧米人、たまにカンボジア人がちらほら。

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コメントノートも。

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紐で手足を結びここに吊るし、拷問するための機械。

気絶すると、水釜の中に頭を突っ込まれ起こされます。

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囚人たちの衣服。

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独房。

無理やり開けられた壁の穴がおどろおどろしい。

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足枷と繋がれてたであろう鎖。

こんな狭い場所で、鎖につながれる。

囚人たちは何を想っていたのか。

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処刑されるときは銃弾が勿体無いので、スコップや鍬で叩き殺されたと説明されていたが、この頭蓋骨には銃弾の痕らしき穴が空いている。

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外は蒸されたカンボジアの熱気。

木に咲いた白い花が綺麗。

建物とこの空気たちだけが、変わらずここにあり続けて、

この熱気を必要以上に重たく感じさせている気がした。

中天の太陽は際限なく降り注いでいて、でも、今日も上る太陽がまぶしいって思えるそれだけで、幸せなことだなと思った。

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平和の象徴。

この強烈なまでの負の象徴の前にハトもただのさくらにしか見えなくなるけど。

過去は変えられないんだから。

 

僕の隣でリンダリンダって歌ってる旭の方がよっぽど平和の象徴だ。