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2014年7月岸本 絢

考える前にやってみたらいい

こんばんは、インド最終日の夜をみさきちとぐだぐだ、ではなく真面目に作業しながら過ごしております。なぜかはるばる日本からの悩み相談が多い今日この頃、何はともあれ元気にやっています。
今回はバラナシ滞在のお話。
ムンバイをあとにした私とぽんちゃんは、引率の山田先生、みさきち、しおりんのいるバラナシへと移動しました。この街を訪れたのは作品の撮影のためではなく、観光のためです。日本にいる時からずっと楽しみにしていた街の一つであるバラナシは、ヒンドゥー教、仏教の一大聖地として有名な場所。インド人の80%を占めるヒンドゥー教徒の間では、人々は生まれ変わる度に苦しみに耐えなければならないとされています。しかし、ここバラナシに流れるガンガー(ガンジス川)近くで死んだ人は、輪廻から解脱できる、と考えられています。ガンガー沿いには、夜明け前から沐浴する人々の姿が多く見られます。
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そしてこの街のメイン観光地とされるのが、ガンガーの岸辺にあり、数千年の歴史を持つマニカルニカー・ガートという火葬場です。聖なる川ガンガーのほとりで火葬され、その灰を川に流し、この世から去ることは、この上なく幸せな事とされています。そのためインド全土から、一日に何十体もの遺体がここに運ばれ火葬されます。
到着した日に、どんなものかと思ってみんなで様子を見に行きました。この火葬場では撮影が禁止されているので写真はありません。
一つの火葬場に十数個の薪の塊がありそれぞれ燃やされています。薪から飛び出た死体の一部が見えていたり、すでに木の灰か人間の灰なのか分別もつかなかったりしています。白い布で覆われた死体は積まれた薪の上に乗せられ、一連の儀式をした後火葬されます。同じ場所でこうもおおっぴらに、たくさんの人が火葬されている光景は異様。噛り付くように見ていましたが、あまりにも非日常の世界なので、目の前で人が燃やされているという実感が湧きませんでした。白い布が剥がれて足や肩、顔が見えてしまっている死体もたくさんありました。けれども見ている自分はすごく冷静で、とても悪い言い方ですが、マネキンでも見ているような感覚でした。
私は大学生の頃に亡くなった、おばあちゃんのお葬式を思い出しました。かなりのおばあちゃんっ子で、幼い頃母親が、私の二人の弟の世話で忙しい時にはいつも一緒にお出かけしていました。高校生になっても、落ち着くし集中出来るから、とおばあちゃんの家まで行って受験勉強をしていました。
そのおばあちゃんが、私が大学生の時に亡くなりました。入院期間も長く、もう時間の問題、という時に亡くなったので覚悟していたのもありましたが、死に際に立ち会い、泣き崩れる母親、普段泣かないのに涙を流す弟たちの姿を見ても、どこか冷静な自分がいました。火葬されたおばあちゃんの姿をみてもなんだか他人事のような感覚。自分のことが怖くなりました。
その時の感情が蘇って、なぜか悔しくなって、毎日火葬場に行きました。最終日は気付けば一人で二時間くらいぼけーっと眺めていました。けれどもやっぱり死体はマネキンなので諦めて帰りました。もちろん体験したこともないので実感もありませんが、こんなに近くにある死は私からはすごく遠くにあったりもして、数年前のお葬式の時と変わらず、何の感情も持たない自分が嫌になりました。
日本で送る日常生活の中では決して見ることのできない光景が、ここでは当たり前の様に広がっていて、普段考えることもない様なことを考えさせられるのがこのバラナシという街でした。もちろん、自分の人生観が変わるというような大それたことはありませんでしたが、物の見方が変わった気がほんの少しだけ、しています。帰国後、何年経ってもここに訪れた時の感覚は忘れないと思います。
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チェンナイ、コルカタ、ムンバイ、バラナシ、デリー。同じ国といえども全く違った顔を持つ5つの街を訪れ、たくさんのことを思ったり考えたりしました。インド人にはかなり苦労し、何度も腹を立て、不便な生活にも、何度洗っても取れない右手のカレーの匂いにも飽き飽きしました。けれどすでに、撮影のためにも、観光のためにもまたすぐに訪れたい国となりました。居心地のよくって素敵な国!とは断言できませんが、本当に面白い国。滞在日数は一番長かったのに、一番短く感じたのも事実です。
そして明日からはネパール、カトマンズ。作品のための撮影はありませんが、写真を撮りつつ楽しみたいと思います!
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