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2014年5月山本 遼

【008】初めまして、ジョン・レノン

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久しぶりにサングラスをかけたという、本田。
皆からジーザスと呼ばれる、本田。日に日に老けていく、本田。
これで20歳と言ったら誰もが疑うだろう。インド人も真っ青である。
彼と指定泊が一緒の部屋になると、
GH(ゲストハウス)で出会った旅人たちの話をするのが恒例になってきた。
絵や歌で稼ぎながら世界一周を目指す者、ワーキングホリデーで一定期間働いてから旅に出た者、
旅人に憧れて世界に飛び出した者、大学を休学して、あるいは春休みを利用してアジアを回る者など、
さまざまな旅人がいたという。
皆話す内容は、これまで自分が何をやって来たかとか、
旅の中で出会った人や出来事について、日本に帰ってから自分がやりたいことなどだった。
やはり、海外に出れば色々な人がいる。それは、別にその国で生活をしている人に限らない。
LCCが流行する昨今、アメリカやヨーロッパ、中東からも大勢の旅行者がアジアへ、
その先の大陸へと飛んでいける。もはや、世界一周など100万円あればできる時代になってしまった。
だから、旅する者は旅について今一度考えるべきだと私は思う。
私の友人や知り合いの中にも世界一周を現在進行形でしている、
あるいは世界一周から帰ってきた人が何人かいる。
Facebookを見渡してみても「ただいま世界一周中!!」と書き込んで、
古こけた自転車と共に写った写真をプロフィールに挙げている人をよく見かける。
別に旅自体を否定している訳じゃない。
日本だけじゃない世界を知ることはとても良いことだと思うし、
知識だけでは到底追いつけない経験ができるとも思う。
ただし、世界一周と言えば「この人凄いな!」という思われる時代では
無くなってしまった。少なくとも私はそう考える。
いうなれば、今の世界一周というのは「世界一周パッケージツアー」なのだ。
世界各地の観光名所を安宿に泊まりながら練り歩くだけ。
インドのバラナシに行っても、ペルーのマチュピチュに行っても、
本に載っている写真と同じような写真を撮って終わってしまう。
テレビで知った予備知識に浸って、あたかもその場を知った気でいる。

旅をするというのは、そういうことだったのだろうか。
自分の思い描いていた旅とは、そんなものだったのだろうか。

悶々。

前置きはここら辺で終わりにして、タイでの出来事を書こう。

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まずは、プーケットへ。相変わらずのAir Asiaのエアコン。
後輩くんたち、上着は必ず機内に持っていった方が良いぞ!
それから機内持ち込みの鞄はなるべく小さくするように!!
書こうといっても、ピピ島が最高だったという以外良い思い出は無いのだが。
なぜなら、バンコクに入った初日の夜から体調を壊し、
即効性のあるスーパーバファリンを飲んで一度は良くなるものの、
タイ最初の撮影地のカオソック国立公園でまたも頭痛と腹痛に悩まされたからだった。

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重い体を引きずりながら、国立公園の中へ。
公園自体の広さは、そばにあるラチャプラパ湖を足せば相当なものになる。
こういう時、「東京ドーム〜個分」とかいう表現を使うのがベターなのだと思うのだが、
何せ東京ドームに行ったことがないから使いようがない。
とりあえず、ここは琵琶湖4つ分くらいと言っておこう。
ビジターセンターでルートマップとおおよその所要時間を聞いてから、最初のゲートへと歩き出す。
一番奥にある滝まで3時間、往復で6時間。
多分、撮影しながらだからその倍かかるだろうなと予想をした。
観光客用に設けられたトレッキングルートは、川の横を走っていて、
歩きながら水の音を楽しむことが出来る。
途中、時々見かける獣道を下ると大小さまざまな滝に出会った。
けたたましい音を立てながら、しぶきを舞い上げ、それが顔や全身を濡らしてゆく。

「気持ち良いな、ここ。」そう自然と声が出た。

こういった体験も出来るから、自然を被写体に選んで良かったと思う。
しかし、浸っているだけでは良い写真も何も撮れない。
人を被写体にして写真を撮る人が、撮影以外の時間も仕事を手伝ったり、
一緒に食事をして関係を築いていくように、
自分からも歩み寄りながら自然との関係をさらに深くしていきたいと改めて感じた。
そんな思いにかられながら撮影していると、急に頭痛が・・・。
すぐさまホテルに戻り、安静にしていたが1日、2日経っても良くならないので、
急遽プーケットの国際病院へ行くことに。
こうして滞在日程の後半で行こうと思っていたラチャプラパ湖に
思いを馳せながら長距離バスに乗るのだった。

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病院では、日本人の看護師さんがいてスムーズに治療を受けることが出来た。
だが、医師の診察の時にこれまであった症状を全部言ってしまったからか、
大量の薬をもらうはめになってしまった。手元に置かれた10種類もの薬。
なぜ、海外の薬というのは症状別に一つ一つ分かれているのだろうか。
粉薬、カプセル、錠剤、要冷凍って冷蔵庫なんてホテルにないですよ。
あー咳なんてほぼ治っているのに、今痛いのは頭とお腹だけなのに。
なんてわがままは心にしまいつつ、泉ピン子似の看護師さんにお礼をいって病院を後にした。
それからの1週間が薬漬けだったのは言うまでもない。
プーケットでは、休養もかねて薬を飲みながら2日過ごし、
3日目に町のバスターミナルでポンと落ち合った。
目指すは、タイの楽園ピピ島。
撮影対象が同じ自然だった8期生の岡田さんに勧められて行くことにした。

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ピピ島での日々は、最高の一言に尽きる。
コバルトブルーの海には色とりどりの魚が泳ぎ、周りを見渡せば緑豊かな山々が広がり、
住んでいる人々はとても大らかで優しく、ゆったりとした時間が流れていた。
ただ、あとは天気さえ良ければ・・・。
結局、晴天だったのは着いた日と帰る日の2日間だけ。
間に撮影日を3日ほど設けていたが、ほとんど曇り空で途中スコールが降る始末だった。
しかし、そんなことにはめげずに撮影へ行かなければならない。
後半2日は港から小舟を走らせ、滞在しているピピ・ドンと20分ほどで行けるピピ・レイを回った。
初めての船上での撮影だったが、波の揺れが手ぶれを誘い、中々シャッターを押すことができなかった。
やはり、ラチャプラパ湖で練習できていたらと後悔しながら、
膝の皮を擦りむき、肘を船の柱にぶつけ、傷を追いながら何とか撮影した。
そういえば、ピピ島は西と東で地勢が全く違う。
東側は、穏やかな海流で人が泳げるビーチやシュノーケリングポイントが点在している。
反対に西側は、切り立った山が立ち並び、登るとなればトレッキングというよりはクライミングになる。
山の最下層部分は、流れの早い海流や波、風に浸食され、内側にえぐられている。
一見、島が少し宙に浮いているように見えるのは、
このえぐり取られた部分が常に陰になってしまうからだった。

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といったような感じで、休養期間が長かった分昼間は撮影に励み、
夜はビーチを歩いたり、星を見ながらスプライトを飲んだ。
このタイが終われば、個人の撮影は一旦休みになる。
次にハッセルを持つのは、マレーシア。
しかし、その前に大切なシンガポールでの6日間が待っているのだった。