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2014年4月山本 遼

【006】赤土とスカイブルー

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時間というのは早いもので、日本を出発してから3カ国目のカンボジア。
今回のフィールドワークで唯一の陸路からの出入国だった。
ベトナムは南北で気候が異なり、北は日本のように四季に分かれ、
南は熱帯地域独特の乾期と雨期に分かれている。
だから私が撮影に行っていたコンダオ島とムイネーは両方とも南に位置していて、
今の時期は雨期になるのだが一切雨は降らなかった。
そのおかげもあってか、ベトナムの滞在期間中はほとんどカラっとした天気で、
湿気という言葉が口から出ることはなかった(ホーチミンは少し蒸し暑かったが)。
出発の日、ホーチミンのホテルから徒歩5分ほどのところにあるバス停へ。
時間は、朝の8:10。隣の公園の歩道には朝から屋台のおばちゃんが忙しそうに朝ご飯を客に渡し、
バイタクのおやじたちが相変わらず片言の日本語で誘ってくる。
バス停といってもメイン通りに無理矢理止める形になるから、
その路肩はベトナム各地やカンボジアに向かう車でごった返している。
日本で夜行バスに乗ったことのある人なら分かると思うのだが、
ちょうど新宿の観光バスが止まるビル前のようだった。乗る予定のバスを待っている間、
何台ものバイクが通り過ぎた。無意味なクラクションがあちらこちらから聞こえてくる。
3人乗りは当たり前。子どもを座席前の足を置くところに立たせ、
大人2人の間にも小さな赤ん坊を乗せた4人乗りもざらにいる。
最初は驚きが多かったベトナムも「この喧噪ともさよならか。」と
少し寂しい思いを抱くくらいになっていた。

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2年前に訪れたことのあるカンボジアは、
暑さはそのままに町だけが少しずつ変わっているようだった。
それにしても国境を越えただけで暑さが異常なほど違うのは、
人の目には見えない何かが働いているのだと思わざるをえない。
自然の仕業か、はたまた神的な力か。
油断しているとすぐに頭から持っていかれそうになるこの暑さには、
今後も手を焼くことになるだろうと悟った。
バスは舗装が行き届いていない赤土の道路をひた走る。
車窓の向こうに見える家々が7〜8mほどの高床式になっていた。
その横には広大な田畑が広がり、白い牛が勝手気ままに草を食べている。
子どもたちは上半身裸で家の庭を駆け回り、その後ろを野良犬が追いかけ、
大人たちは仕事に追われているか、家の真下に張り巡らしたハンモックに気持ち良さそうに寝ていた。
途中、船に乗って車ごと川を渡ったのは感動した。
しかも、乗り付けた位置が一番前だから尚更景色が良い。
船が向こう岸に着くまで隣に座っていた柳原とキャッキャッ言いながら写真を撮っていた。
そういう反応をする自分を振り返るとまだまだ若いなと改めて感じる。
そんな片田舎の光景を目にしながら、バスがプノンペンのバスターミナルに到着したのは
午後の15時過ぎ。2年前の研修ではシェムリアップでしか身動きができなかったから、
今回はカンボジアの首都を満喫できると踏んでいたが、行ったのはトゥールスーレン博物館だけ。
カンボジアの滞在期間中に社会貢献を目的とした写真展を行う予定だったので、
そそくさとシェムリアップに移動することになった。

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私は菅原、柳原、鈴木たちと共に世界中で撮られた写真を展示する。
企画名をWorld Photo Rallyとし、世界各地のさまざまな風景の写真を
カンボジアの子どもたちに見せることで、外に視野を広げてもらい、
自分の将来について考える一つのきっかけにしてもらうことを目的としている。
そのため、今回協力をいただいたのはNPO法人HEROさん。
HEROさんは、カンボジアのシェムリアップで学校建設や人材育成、
日本人向けのスタディーツアーなどに力を入れている団体だ。
シェムリアップ初日は臨時スタッフを勤める熊田さんと通訳をしてもらうサムさん、
そしてドライバーのトゥリーさんに挨拶をして中心部から車で45分ほど行ったところの
チャースモウ小学校へと向かった。
バイクとトゥクトゥクの波をかいくぐり、トンレサップ湖に向かう田舎道を進む。
途中、私たちの乗っているバンを物珍しそうに見る村の大人たちや
巧みなハンドルさばきで自転車に二人乗りする子どもたちに手を振った。
最初は怪訝な顔で見ていた彼らも、こちらから笑顔で手を降ると同じように返してくれる。
そういったカンボジア人の大らかな性格は2年前から、いやずっと昔から変わらないのだろう。
ベトナムではそれほど味わえなかった人とのつながりを、
ここでは沢山感じることができると期待に胸を膨らませた。

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小学校は、地元の人が行く小さなマーケットの先にあった。
入り口には、しっかりとした白い支柱と青い看板で門が作られ、
「CHEAR SMONN SECONDARY and PRIMARY SCHOOL」と書かれている。
横には3人の子どもたちが一生懸命に勉強している場面を切り取った写真の看板があり、
それぞれの頭の上に将来どんな職業に就こうか考えているような吹き出しが出ている。
門をくぐり、道なりに少し歩くと開けた場所へと辿り着く。
両脇には太陽から受けた暑さで日焼けした茶色の校舎があり、
中央には植木と大事そうに竹の囲いに入った何かの苗、
5m程ある銀の棒の先についたカンボジアの国旗が時々吹く風に乗ってヒラヒラと揺れていた。
さらに奥へと進んでいくと、スカイブルーの壁に白い屋根、
カンボジアでは絶対見ることがない色使いの長屋の校舎が見える。
太陽の光を反射しながら堂々と立つその校舎こそHEROさんが建設した小学校であり、
我々が今回展示をする会場だった。
廊下に立つとほのかに木のにおいがする。水色に塗られた壁に手を当てながら、
熊田さんがこの校舎を立てる時日本からヒノキを持って来て、
熟練の大工さんや建築士と共に作ったのだと教えてくれた。
確かに見渡してみると作りが細かいのが何となく分かる。
木と木のつなぎ目、窓と枠の間隔、塗料の塗り方。熊田さんが付け加えるように
「この校舎がカンボジア初の木造日本建築になるんだと思います。」と言った横で、
少しのプレッシャーを感じつつ、そんな会場を借りて展示できることが楽しみでならなかった。

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しかし、ここで最初の難関に挑まなければならなかった。
教室に入ってみると予想以上に掲示物が多く、当初予定していた教室内での展示が難しくなったのだ。
持って来ていたA3にプリントした写真を掲示物の上に当てたり、
間に貼ってみたりしたが、どうにもしっくりこない。
どうしようかとメンバーと悩みながら長屋に設けられた3つの教室をそれぞれ見渡してみたが、
どこも同じような感じで少し途方に暮れた。
だが、そういった壁は何とかして越えなければ前に進めない。
少し風に当たって考えてみようと皆で廊下に出た時、
廊下の壁には何も貼っていないことに誰かが気づいた。
教室に風を送るための窓はついていたが、その下にはA3の写真を2枚貼るくらいのスペースはあった。
菅原と柳原がすぐに各ブースの枚数と壁の長さを確認してくれたおかげで、
廊下で展示してもスペース的には問題ないことが分かった。
こういう時の頭の切り替えの早さは、きっとFuture Lights Projectに所属していた頃に行った
3度の展示の経験が生きているのだと思う。
さっそく展示の準備に取りかかった。
鈴木は展示用の地図に写真の撮られた場所が分かるよう数字を書き込み、
山本、菅原、柳原で写真の配置を決めていった。
時間もなく、集中し過ぎもあって作業中の写真は撮れなかったが
引率の冨田先生のブログを見返していただければ様子が分かると思う。
課題は残ったが、その日で搬入作業のほとんどを終わらせることができた。
学校に来る前も、ホテルに戻った後も、さまざな作業においてHEROのスタッフさんに関わらず、
コピー屋のお兄ちゃんや、キャプションを翻訳してくれたガイドさんなどの手を借りた。
写真は撮る時から発表まで孤独な作業だと思いがちだが、決してそんなことはない。
色々な人の協力を得て、ひとつの形になっていくのだと改めて感じた。

今日はこのくらいにして、展示の様子はまた次回に。

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