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2014年4月鈴木 詩織

Day 26 / 184 ホーチミン2日目/考えていること①

ホーチミン2日目、鈴木です。
ずっと手がむくんでいてなんだか変な感じです。

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朝、ホテルの周りはこの辺の人たちがご飯を食べるためにたくさんの屋台とたくさんの
人でにぎわっているのですが、飲み物が切れてしまっていたので屋台の間を縫って、
1軒のスーパーに行き着きました。
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こちら。
最初はコンビニかと思ったのですが、入ってみたら生鮮食品がたくさん置いてあって、
子どもの頃おつかいにいった小さなスーパーを思い出しました。
スーパーなだけあって、今までで1番安い値段で買うことが出来ました。おばちゃんには
怪訝そうに見られましたが…

午後、お昼を食べてふらふらしていると、日本語で話しかけてくるおじさん。
怪しい、いかにも怪しすぎる、とかなり警戒したのですが、彼はちょっとした有名人の
フーさんという方でした。
日本語を勉強して7年になり、ホーチミンに来る日本人に注意喚起をしてくれたり、観光
案内をしてくれているそうです。
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彼は今まで案内した人が書いたお礼文や名刺を貼付けてある分厚いノートを、何冊もいつも
持ち歩いているようです。

考えていること①
毎度毎度、日記みたいのが続いても何も面白くないので、私の考えていることを書いてみようと
思います。なんでそんなこと考えているのかと言われることばかりですので、あくまでも1意見
として軽い気持ちでみて頂けると嬉しいです。

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私はどこにいるのか、あの子は、彼は今何をしているのだろう

不意にその言葉が浮かんだ、風のそよぐ公園。
座る花壇には、風で運ばれてきた葉や花が落ちてくる。

私は確かに今この場所にいるのに、彼女、彼とは別々に時間が進行している。

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一瞬記憶が抜け落ちたみたいに、音が消えて目の前の風景がスローモーションになる。
風で落ちる葉の1枚1枚がどう動くかが鮮明に見える。

あの黄色い花は強い日差しをこちらに照り返してきて、遠くの薄紫はじっとこちらを
見つめてくる。

ごく稀に訪れる、この感覚。
時間が遠く永遠に見える、思える、感覚。

確かに目の前の緑は鮮やかで、でも私の見知ったものとは大分違っていた。

あの夏は確かにあったのに、ロック画面の彼は確かにこちらを見ていたのに、お祭りの
あとの公園も、線香花火も鮮明に私は覚えているのに、

私はなんで、この公園で1人の日本人という存在になっているのだろう。

なんて風のそよぐほんの数秒の間に考えていたりします。

もうひとつ考えることがあります。
私は、普通に起こる(そう行動すれば当たり前にそう動くようになっていること)事こそが奇跡だと
思えるのです。スイッチを入れれば電源が付く、蛇口を捻ればお湯が出る。
当たり前だらけのこの世界、普通の事だと思うことであふれている世界、私はそれこそが奇跡だと
思い、反して、偶然とかあり得ない奇跡、と世間一般的に言われることを、起こるべくして起きた
必然だと考えています。
何のことだかさっぱり分からないでしょうが、私は物事に対してそんな風に思っていることもたまに
あります。
ただ普通に、奇跡と呼ばれることに感動していない訳ではないのです。
それはとても喜ばしいことであったり、論理的に説明できないことというのは、1番すばらしい
事だとも思っているからです。
長くなりましたが、当たり前のことを当たり前にしては、それが崩れた時、きっと当たり前だった
事がどんなに幸せだったかを痛感することになります。それが取り戻せないものであればあるほど。
そうなってしまう前に、毎日生きていること、当たり前のことが当たり前にできることを感謝したい
というのが結論でしょうか。
毎日そんな風に生きていると、たまに疲れるときもありますが、2度と訪れることの無いこの一瞬を
この日を、この歳をおごること無く、全力で生きていきたいと思う次第であります。