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2014年3月山本 遼
Risk with yourself
そうえば、先日撮影の時にこんなことがあった。
自分の撮影は、中判カメラを三脚に据えてじっくり時間をかけたスタイルだから、
「これだ!」という被写体を見つけては、周りを2、3周してから撮る位置を決める。
その日も被写体を追い求め、山中を散策。
撮影開始から1時間、ようやく杉並木の中からピンっとくる一本の折れた木を見つけて、
さっそく撮影に入ろうとした。
公道から少し外れた場所。といっても、15歩くらいで辿り着ける。
バックを土の上に置いて(草花をつぶさないように)、木の周りをぐるぐる(枝を折らないように)。
その時がお昼くらいだったから、太陽はほぼ真上。被写体が一番映える光の位置を確認して、
バックに取り付けた三脚を手に取った。
ローアングルから撮りたかったから、木からは1mも離れていない。
さっそく撮影に取りかかる。こういう時は、光の具合が肝心で、
自分の求めている光がどこかにいってしまわないうちに撮らなきゃならない。
そう、時間がないんだ。
でも15歩ほどしか公道から離れていないから、
ツアーできたおばさん、おじさんたち一行にずっと見つめられる。
視線が熱い、というか痛い。しかし、そんな視線を気にしていては集中できないから、
ずっと木とカメラのファインダーを見つめる。
時々、自分のこんな行動が珍しいのかパシャパシャ写真を撮って行ってしまう。
そんな一行もこちらが気にしなければ、すぐにいなくなる。
しかし、一筋縄ではいかない人もいた。
「そこで何やっているんだ?」中国語で多分そう言いながら近づいてくる
若貴兄弟のお兄ちゃんの方に似ている男。
胸には名前が書かれたタグと、観光客を先導する指し棒を持っていた。
着ていた黄色のポロシャツが目立つ。
「おお、お兄ちゃん」と突っ込み入れたかったが喉の奥にしまい込み、
「写真を撮ってるだけ。」と英語で答える。それを許すまじとする男。
「ここは公道じゃないから、早く道に上がりなさい。」と言いたいのだろう。
道を右手で指をさし、左手をこねくり回す。
その指示に従い、満足げな彼の顔を横目に渋々道に戻ることにした。
あの時のことを振り返りながら、何がいけなかったのか考えてみようと思う。
歩くようにと指定された公道から離れ、規定外の場所で撮影をしていた。
確かにいけないことをしたのは自分かもしれない。
でも、別にゴミを捨てようともしていないし、木に落書きをしようともしていない。
ただただ、写真を撮っていただけ。
若貴お兄ちゃん似の彼は、何が許せなかったのだろうか。
木や草花に危害を加えないため?他の観光客が真似しないように?
それとも、自分の身を心配してくれたのか?
日本でも、前に同じようなことがあったことを思い出した。
あれは、FW出発の3ヶ月前。期末審査を控え、時間があれば撮影に出かけていた頃のこと。
都内からあまり離れていなくて尚かつ自然が豊かな場所で写真を撮りたくて、
青梅線に揺られながら奥多摩によく通っていた。
目指すは、川苔山。川と滝で有名な山で、普通なら最寄りの川乗橋という停留所までバスでいく。
いつも立川の漫画喫茶で夜を明かして翌日の始発に乗っていたのだけれど、
その日に限って寝坊してしまったから、予定していたルートではなく、
川苔山の南東にある本仁田山からアタックすることになった。
オレンジ色の屋根の民家のすぐ横にある入り口から、のらりくらりと登山道を進んでいく。
時々、鳥の声に耳を澄まして立ち止まり、深い深呼吸をする。外気で冷えきった水で喉を潤わせ、
汗ばんだ背中とTシャツの間に後ろから吹いてくる風をかき込んで、熱くなった体を冷ます。
「よし、OK。」帽子をかぶり直しながら、小声でつぶやく。そして、また進む。基本その繰り返し。
登山道を進んで大きな谷にさしかかった時、恐らく20mくらいだろうか少し離れた場所に
ねじ曲がった松の木が一本立っていた。しかし、手前に隆起した土があって全景が見えない。
気になったからどうにか近づこうと思って、三脚の足を一本伸ばして杖代わりにして登っていった。
木は馬の胴体並みに太く、幹はあちこちに伸びきっていた。
午前中の東から指す暖かな光に照らされたその松の木は、どこか今にも動きそうな竜のようで
しばらくの間見入ってしまった。
最近になってようやく気づいたのだが、
自分は他の誰よりもタイミングが悪いセンスがあるのだと思う。
何故こんな話を急にするかのか言えば、その木を撮影している時に
作業服姿の男に声をかけられてしまったからだ。
彼は、恐らく林業か地形を計る測量士で胸に〜土木会社と書かれたツナギを着ていた。
「何をしているの?危ないから、登山道に戻って。」と言われるのが目に見えていたから、
すぐに機材を片付け始めた。案の定、そう声をかけてきた彼の言葉に頷きながら
僕は登山道に戻っていった。
多分、阿里山で話しかけてきた彼も奥多摩で出会った彼も
少しは自分の身を心配してくれて注意してくれたのだと思う。
でも、自然を破壊するな!動植物をいじめるな!生態系を壊すな!という話は今置いといて、
そんな注意は大きなお世話なのだ。
「Risk with yourself」
海外、といってもヨーロッパ圏やアメリカなどではすでに認識されていることなのだが
簡単に言ってしまえば、、、
自分の身は自分で守りなさいよ。
山に登るのも、海で泳ぐのも良いけど、そこで何が起こっても自分の責任。
リスクは、自分自身で回避しないとね。
という精神が少なからず存在する。
今の世の中は過保護過ぎる。便利過ぎる。それは、山に敷かれた登山道も同じ。
コンクリートの登山道なんてない時代の人々は、
皆先人から受け継いだ知恵と経験で何事にも対応してきた。
道が分からなければ、太陽に、星に聞けば良い。
食べ物がなければ、森や海に聞けば良い。
自然と隣り合わせで、生と死とを間近に感じつつ、そうやって何でもこなしてきたんだと思う。
今や、何でもすぐに手に入る時代。左手に収まった光を放つ長方形の箱を反対の指先でたたく。
折り畳んだ皮の袋から紙切れを取り出して、野菜や肉、自分の欲しいものと交換する。
人間の最大の発明は、火をおこしたことだと歴史の教科書に書いてあったが、
それをマッチもライターも使わずにやってのける人間は、
携帯も地図も使わずに目的地まで辿り着くことができる人間は、
今この地球上に何人いるのだろうか。
僕ら人間は退化しているのか、それとも進化し続けているのか。
そもそもそういった次元ではもう捉えられないのかもしれない。
少し話が飛躍しすぎてしまった。
答えのでない問いに悶々としつつ、今日も床につくとしよう。